世界一の人工乳房を制作
新野まりあさん
〜『いのちの田圃(たんぼ)』2001年3月号(第3号)より〜
さまざまな分野で一筋の道を貫く人たち。崇高にして爽快なその人生の軌跡を、川竹が心からの尊敬を込めてレポートする。
第三回は、乳ガン手術をバネに、まったくの素人から世界一の人工乳房制作者となった、新野まりあさん。その歩みを知った人は、この人の前で、「不可能」という言葉を使えなくなるだろう。
乳房喪失
両手が黒いセーターをつかむ。白い肌が見える。
私は一瞬のちの光景を予想してたじろぎ、が、そのときはすでに、胸の赤い傷痕が視野を占領していた。
それは、今まさにセーターをたくし上げた右腕のつけ根から肋骨の下まで、扁平な胸を縦に貫いている。 私はいたたまれず、視線をその人物の顔に移す。と、そこには、新野まりあさんの、ゆったりとした微笑みがあった。
「私はね、どこででもホイッて見せるの。ショウウィンドウですからね、私の胸は。患者さんに、実際に人工乳房を着けたり外したりして見せてあげるんです。シャワーを浴びたりね」
新野さんは、間違いなく世界一精巧な、人工乳房の開発者である。
それは、着けているのだが、胸から生えているとしか見えない。湯につかると生身の体と同じ色に染まる。
その十三年前、新野さんは、ハルステッド法による乳ガン手術を受ける。
「もうほんっとに無知で、知識がないからなーんにも質問出来なくて」
だが、麻酔から覚めると、すべてを失っていた。
「胸は真っ平らで・・・」
その上、右腕は肘から九十度に曲がったまま、動かせない。この先には、腕を固まらせないための辛いリハビリが待っている・・・はずだった。
だが、ここからすでに、新野さんは違っていた。
すし大学オーナー、日本フラダンス協会代表という二つの経験が、存分に発揮されるのである。
「生のフィレ肉を寿司ネタにしたことがあって、そのとき、大きく見せるため生肉をビールビンで叩くんですが、いくらでも延びたんですよ。で、生肉は延びるんだと、それ思い出して、傷口が開かないように左手でグッとつかんで、右腕をこうやって・・・」
フラダンス独特の、あの波のような腕の動きを、リズムに乗せて繰り返した。 そして一週間後の抜糸の日。医師は、リハビリの開始をおごそかに告げる。
「滑車で腕を吊して」
新野さんは笑った。
「なーに言ってんですか、先生。これもんですよ」
ピクリとも動かないはずの腕を、背泳のようにグルグルグルグル、自由自在に回してみせたのである。
「新野さん、これ使えますよ」
驚きのあまり、医師は頓狂な声を上げて、讃えた。
ないなら、作る
そんなある日のこと。人工乳房を売っている店を、医師にたずねた。すると、
「ブラジャーに靴下でも、まるめて入れとけばいいんじゃないの」
あって当然のものが、実は、なくて当然であることを、その返事は、冷酷に示していた。
「悔しさと、悲しさと、ジワジワくる怒りと。ショックが日ごとに深まってくるんですよ」
しかし・・・。
「待てよと。どこにもないんだったら、作るしかないな。誰もやっていないんだったら、作れば唯一の生産者になれるなと。その世界のパイオニアになれるんじゃないか。もしかしたら、神様は人生最高のチャンスをくれたのかも知れないなと。この胸を研究材料にして、ここのこの胸を研究室にしたら、私には出来ると思ってね」
早速、ベッドの上で試作が始まった。シャツ、靴下、洗車用のスポンジ。思いつくかぎりの物を集めては、切り刻み、またあるときはミカンの網の袋に詰め、メリヤスのシャツの裏に縫い付け・・・こうして初めてのパッドが出来たのである。
退院後、新野さんはそのパッドを胸に、待ちかねたフラダンスのステージに復帰する。
ところが、胸ぐりの大きい衣裳では、どうしてもパッドを縫い付けたメリヤスのシャツが隠れない。
「だったら見せればいいんじゃないのと。それで、スパンコールや色んなフリフリをつけて思い切り派手やかにしてね」
それを激賞した生徒に、新野さんは、種明かしのように、パッドを取り出してみせた。
「そしたら・・・先生、これ凄い。必要な人、いっぱいいますよ、みんな泣いていますよって」
インタヴューが進むにつれ、私の胸には焦燥感がふくらんでいた。このまま、
『開発物語』で終わってはいけない。私には知りたいことがある。唐突を承知で、それを口にしてみた。
「胸をなくされたお気持ちには、どういう風に折り合いをつけたんですか」
新野さんが、この日、初めて小さく目を伏せた。
「乳房失ってしまったら、気持ちの折り合いなんかつかないです、大抵の人は。男に対しての女でなくなってしまう悲しみは、口に出せない。その喪失感に打ちひしがれて、暗い方へ、暗い方へ思考を引っ張るんです。みんなも、私も」
新野さんの声に、秋の雨のような淋しさが宿った。
だが、それも束の間。
「それでね、私、『天使の卵』っていうストーリーを作ったんです。夢をね。嘘でもいいから、美しい理由がほしいんです。自分だけが何故オッパイを失ったのかという理由ね。神様はいいオッパイだけを選んで、天使に狩りをさせるんです。そのオッパイどうしているかというと、闇に葬られた子供たちが集められている園があって、そこで『お母さんのオッパイだよ』って、集めた、いいオッパイをあげてるんだって」
乳房創造
ヨーロッパ、ブラジル、アメリカ・・・人工乳房創造に向けて、新野さんは駆け巡った。あるときは、ハリウッドの映画用特殊メイクの技術に目を付ける。が、見本の人工人体は一体八千万円、技術を学ぶだけでも二千万円という。諦めるしかなかった。
医療用人工人体を開発した人を訪ね、いきなり叱られたこともある。科学者でも医者でもない素人がやるべきことではない。乳房がなくても胸を張って生きられるよう、カウンセラーになれと言うのだ。
だが、新野さんは食い下がる。 「あなたは男だから分からない。まず体を修復することが先」だと。
根負けした彼は自ら試みて失敗した人工乳房を見せる。それはシリコンで出来ていた。
「これから先は私の仕事」
直感した新野さんは、シリコンメーカーを探し、そのつてで、人体修復の世界的権威・イギリスのロバーツ博士に入門を果たす。
医者以外は入門出来ないはずであったが、ここでも粘りでもぐり込んだ。
だが、問題は費用。授業料一日六万円。しかも正式なコースは七年。その上、当然、渡航費、食費、ホテル代・・・。費用を工面しては出直し、なくなれば帰国、そしてまた稼いでイギリスへ・・・七年のコースを実質七ヵ月で終了した。
そして今・・・。
『緊急発表』と題されたマスコミ発表の文書には、こう記されている。
『21世紀1月11日。この日を私は一生忘れないでしょう。幾多の困難な道のりの末に、神様はすばらしい贈り物を下さったのです。お知らせいたします。理想的な乳房がこの日完成したことを! それは呼吸するんです。むれない・汗もかかない・着けたまま、スポーツ・洗髪・水泳も大丈夫。ノーブラ勿論0K! 激しいSEXもできる。しかも、このオッパイは快感をも感じることができるのです』
私は以前、新野さんがシリコンで作った最初の人工乳房を見たことがある。それは、古びたゴムの帽子のようなものにしか見えなかった。
あれから約十年。数限りない改良が加えられたのだろう。今、手に取るそれは、まさにこの歓喜あふれる文章そのままであった。
困り事のまりあ
だが、更に驚くべきことがある。新野さんは、新しいモデルが出来るたび、無料で新しいものに作り替えてあげているのだ。
「いや、材料費の五万円はいただいているので、無料じゃないですよ」
しかし、本来の料金は五十万円から二百万円なのだ。五万円では、考えるまでもなく大赤字。しかも、新しいモデルが出来たときこそ、リメイクで儲けるチャンスではないのか。
「それをやると、私は商人になってしまうでしょ。赤字でも何でも、これは、私の患者としての使命なんですよ。全部、私が作り直しています」
しかしそれでは、経営が成り立たなくはないのか。
「何とかなりますよ、必ず。私は、貧乏学のプロフェッショナルですから、さあどうするってときには、ぱっと解決策が浮かぶんです。だから私ね、『困り事のまりあ』とか『とっさのまりあ』って呼ばれてるんですよ。一番いいのは、家賃を滞納することね。半年くらいほっておくと裁判になるでしょ、それであれこれやっていると結局一年くらいは居座っていられる。月十万の家賃としても、百二十万円は使えるんですよ、開発に」
さも愉快そうに笑う。
「私は患者さんが求めるものにたどり着くために、みなさんの体をお借りして研究しているようなものですよ。使命ですから、儲けられない。お金はいつもないです。ですけど、私はやって差し上げたいんです」
私は確信する。
マスコミ発表の文面に踊る新野さんのあの歓喜は、そっくりそのまま、胸を失った無数の患者さんの歓喜でもあることを。
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