2013年02月05日

第一回 苦い問い

苦い問い

私たちガン患者は・・・。
いつから、
なぜ、
こんなことに、
なってしまったのだろう。
 自分の身体を、自分の心を、人生を命を、医者にあずけてしまうようになったのだろう。
昨日まで、顔も名前も知らなかった、医者という名の赤の他人に・・・。たったひとつの、かけがえのないものを・・・。
そしてそのことに、何の疑問も抱かない・・・。

この問いは、1990年の腎臓ガン発病とともに私の胸に宿った。著書「幸せはガンがくれた」(創元社)に、次のように記している。

林の中の散歩をはやばやと諦めた私は、団地の一室で、あまり気乗りもしないまま、読みさしの本を手にした。体調はすっかり回復し、すでに仕事にも復帰しているというのに、入院中にもまして沈んでくる気持ちを、すっかり持て余していたのである。理由は分かっていた。あの時の自分が、しばしば発したあの言葉の、隠された意味に気づいたからである。
「先生、よろしくお願いします」
ガンだと知って後、私はいく度となく、この言葉を繰り返した。手術の前も、その後も。もちろんこれは習慣的な挨拶の一つ、単なる礼儀にすぎない。少なくとも表面的には。しかし、あの時の私は、違っていた。
「先生だけが、頼りです」
明らかに、そういう意味を色濃く含んでいた。そうでなければ、あんなに何度も繰り返すことはなかったはずだ。昨日までは顔さえ知らなった人物に、自分の運命を全面的に委ねてしまった。その悔しさと情けなさは、肉体の苦痛が軽減されるに従って、じわじわと膨らんでくる一方であった。
どうして、いとも簡単に、私は、ああなってしまったのか・・・「汝、我に何のかかわりあらんや」・・・人に頼らず、おもねらないこと、それが私のささやかな信条でもあったのに・・・。


命の丸投げ

あれから、およそ四半世紀。
今の私は、ガンになる以前よりも、身心共に、はるかに健康で幸せな人生を満喫している。
だが、それにも関わらずこの問いは、弱まるどころかますます執拗に、私に突き刺さってくる。
なぜか・・・。
 あのとき、私がしたことは、今にして思えば、〈命の丸投げ〉とでも名付けるしかない、愚かで無責任な行為であった。その償いを、自分自身に対して、まだまだ十分に果たしたとは言えないからだ。
そして・・・。
幸いにして私は、〈命の丸投げ〉から脱却することができた。だが、多くのガン患者さんは、ことの重大さに気づかないまま、半ば無意識的に、半ばは意図的に丸投げを続け、ついに命を落としている。そんな悲劇を、少しでも防ぎたいからだ。
さらに・・・。
〈命の丸投げ〉は、ことガン患者だけにとどまらず、あらゆる病の患者さんに、等しく及んでいる。つまりこれは、病む人たちすべての問題だからだ。
さらにさらに・・・
〈命の丸投げ〉は、病者だけに特有の問題ではない。未曾有の原発事故を引き起こさせた背景にも、それは存在する。なおかつ、すでに事故などなかったかのように振る舞まいつつある私たち日本人に、それは存在する。
また、私たちの多くが、無自覚的に〈命の丸投げ〉をするのは、そうさせるよう、周到に巧妙に仕組み、私たちの心をコントロールする、一群の人間が存在するからでもある。
もちろん、その構図は、ガン医療とガン患者の関係そのままである。


すべての人に、ウェラー・ザン・ウェルを

とすれば・・・
一度は死を垣間見ることで、誰よりも、命の弱さ愛しさ貴さを知る、私たちガン患者が、まっさきに〈命の丸投げ〉から脱却して見せよう。
誇り高い〈自立した人間〉となろう。
そして、多くの人たちにその生き様を、見ていただこう。
といっても、何も、肩肘を張る必要はない。
まずは、自分のガンを治すため、自分の命を守るため。どこまでも自分のため。それでいい。
けれど、嬉しいことに、私たちが、ガンを治すために、気づき、目覚め、脱却し、自立するプロセスは、そのまま、いつの間にか、他の多くの人たちのモデルになっている。  
すなわち、たくまずして、〈利他〉の行為となっているに違いない。
「ウェラー・ザン・ウェル(Weller Than Well)
」とは、ガンになる以前よりはるかに、心身ともに健康で幸せ、という意味。
 この言葉は、ガン以外の病気にも、そのままあてはまる。病気以外の、いかなる困難や挫折にも、そのままあてはまる。
だから。
私たちガン患者が、ウェラー・ザン・ウェルを実現するとき、それはきっと、すべての人たちの、命の上に実現する。
 その日を目指して、冒頭の、あの苦い問を、自らに向け続けることから、この考察を始めたい。
いい質問こそが、いい人生を、言い世界を作るから。

私たちガン患者は・・・。
いつから、
なぜ、
こんなことに、
なってしまったのだろう。