2013年04月09日

赦(ゆる)しの音


 今年6月15(土)16(日)の両日、私たちは、『日本ウェラー・ザン・ウェル学会シンポジウム』を開催する。そして、次のように宣言する。
「自分の命は、自分で守れ。自分の未来は時分で築け。患者の〈依存〉、医者の〈支配〉。そんな関係から脱却しよう。300人以上の〈治ったさん〉。40人以上の自然退縮者。ウェラー・ザン・ウェル患者学の、自分で治す、知恵と技術がここにある。シンポジウムの二日間、その最新理論を学び合おう、心ゆくまで徹底的に!」
 以下の『巻頭言』は、ここに至る、すべての始まりの瞬間を記したものだ。



赦(ゆる)しの音

         『いのちの田圃』22号(2002年10月)より

 秋。木々や草たちの葉が、水気を手放してゆくにつれ、野に渡る音は、日増しに明るく乾いてくる。
 大好きな、そんな音を拾いに出たはずなのに、突然耳に響いてきたのは、十年前の、あの音だった。
 二十台もの電話が切れ目なく叫ぶ、あの音・・・。
 腎臓ガン発病の二年後、私は、「人間はなぜ治るのか」を制作する。だが、〈心がガンを治す〉と訴えたこのシリーズは、週刊誌から、いわれのない中傷を受けた。曰く。「新興宗教のキャンペーン番組」。
 そして、放送直前にそのことを知ったNHKは、番組に登場するすべての病院の名前を伏せ、どんな問い合わせや相談にも一切答えないという暴挙に出た。
 次から次。来る日も来る日も。私は断るためにのみ、受話器を取り続けた。怒鳴る人。泣きだす人。患者である私にとって、これは拷問に等しい。いかにも容体の悪そうな人には、夜、自宅からそっと電話で教えたが、けれど、そんなもの・・・。
 恐ろしい分量の手紙も届き、深夜、一人で手に取ると指先は冷えて痛み、痛みは、私が患者さんたちに、大きな負債を負ってしまったことを思い知らせるのだった。
 知人の精神科医は、手紙をすべて焼却しろと・・・。しかし、十年後の今も、それは私の部屋にある。
 せめてもの罪滅ぼしに本を書き、ガン患研の活動も開始した。けれど、声がする。どうして、職場のど真ん中で大声張り上げて教えてやれなかったのか。お前にしかできないことを、お前はやらなかった・・・。そんな内なる声が、今も胸の底から、ゆらゆらとヘドロのように立ち上ってくるのだ。
 けれど来春四月。神様は私に、素晴
らしいチャンスを与えてくださる。
 治った百人と治したい千人が一堂に会する『千百人集会』のその瞬間、千百の胸に、新しい音が宿るのだ。
 それは、千人が求めて得られなかった希望の音。百人が、そのまた前の百人から受け取った勇気の音。
 それは、たちまち会場に充満し、すぐにも外に溢れ出て、勇気と希望のうねりを日本列島に広げてゆくだろう。
 その日、私は、手紙を焼く。あの音と決別する。
 「もういいよ」。十年前の人たちが、こんどこそ、そう言ってくれそうな気がするから。



posted by 川竹文夫 at 15:58| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』