2013年03月24日

学会誌より その4


人は見たいものしか見えない

 クーンはさらに言う。
 ひとつのパラダイムは科学者共同体をつくり、そこに属する者は一切の疑問を抱かず、むしろ常に、さまざまな現実の問題に対してその有効性を確認しようとし、理論を補強し、適用範囲を広げていこうと努めるものだと。
 先述のテレビ番組『人間はなぜ治るのか』で、自然退縮の存在を明らかにした私のもとに、ある公共機関の勤務医から、〈客観的なデータ〉が送られてきた。
 複数の胃ガン患者を〈本人の希望により〉手術せずに観察したところ、やはり、確実にガンは進行した。だから自然退縮などあり得ないのではないかと

 先に私は「人は信じたいものしか信じない」と書いたが、今、次のように続けたい。
 「そして人は、見たいものしか見えない」
 番組制作中にはまた、こんなこともあった。 
 膵臓ガンを自然退縮させた人の主治医に電話で確認したところ、やがて答に窮した彼はこう言って電話を切る。
 「あれは、ガンでなかったと思う。私の誤診でした」
 クーンは、次のようにも言っている。
 あるパラダイムに属する科学者が、どんなに努力しても彼らの理論では説明できない〈変則事例〉に遭遇するときがある(自然退縮がまさにそれ)。と、彼らは決してパラダイムの修正を試みたりせず・・・まず、自分たちの実験や観察に誤りがあったと考えると。「自分の誤診だった」として難を逃れた(?)先の医師は、まさにこの典型だ。
 クーンは続ける。
 その変則事例が少数だと思われた場合は、存在そのものを無視してしまうと。つまり無かったことにするわけだ。
 いつだったか、国立がんセンターの医師がおおむね次のように書いているのを目にしたことがある。
 「自然退縮は、もしあったとしてもひとつのエピソードに過ぎない」と。
 エピソードとは・・・つまりまあ、単なる話であって、あってもなくても大勢に影響はないとでも言いたいらしい(それならなぜ、わざわざ書いたりするのか、ぜひとも知りたいところ)。
 「なんとまあ、人間的な!」と、クーンのおかげで科学と科学者に対する美しい誤解が解け、肩の力が抜けた今の私は、余裕を持って微笑むのだが・・・このように、パラダイムとは、科学者共同体が営々と築きあげた、強固な〈信念の体系〉という一面を持っているものなのである。
 言うまでもなくこのことは、〈旧〉に対してだけ当てはまるものではない。私が発展させようとしている〈新〉もまた同様の性質を持っているはずだと、公平を期すために明記しておこう。
        (つづく)