2013年02月28日

心の弁当箱 4


幸せ

 末の娘が、間もなく結婚式をあげる。
 式などしないだろう。しても私服の気楽なパーティーのようなものに違いないと、勝手に考えていた。ところがそうではないらしい。小ぢんまりとした簡素な式ではあるけれど、父親の私には一応、タキシードなど着てほしいようなのだ。
 娘からの、そんな相談メールをいささかの当惑と共に読みながら、私は小さな想像に遊んでいた。
「幸せにしてね」
 などと、彼氏に言ったのだろうか、ドラマみたいに。
「幸せにするよ」
 などと、彼氏は、答えたのだろうか。あるいは、娘に聞かれる先に、宣言したのだろうか。小説みたいに。
 でもね、と私は想像の中で、お節介をはじめる。
「でもね、幸せは、なるものじゃない。感じるもの、気づくものだよ」


感じるもの、気づくもの

 ガンになる前の私は、どうすれば、幸せになれるのか、成功を追い求めて猛烈に働きながらも、それが分からなかった。成功すれば、幸せになれるかもしれないと、ぼんやり期待していながら、成功して不幸せになる人を、たくさん見ていたから・・・。
 けれど、ガンになって、初めて気づいた。
 幸せは、気づくもの、感じるものだと。
〈なろう〉と、もがいているうちは、幸せに気づいていないのだから、いつまでたっても、なれない。
 でも、感じる能力があれば、「なんだ、もうすでに、なっていたんだ」と気づくことができる。
 だから今。
 私は毎日、何度もつぶやく。「幸せ、幸せ」と。妻も何度も歌うように言う。「幸せ、幸せ」と。

 いつのころからか、こんなことを思うようになったのは、きっと、私を全身で可愛がってくれた、祖母のおかげ。
 何かの、シンクロニシティなのだろう、ずいぶん前に、そんな祖母に寄せて書いた小さな詩が、ひょいと出てきた。
 この詩、若い二人に贈ろうかな・・・でも、お節介は嫌われる。だからあくまでも、想像の中、ここだけのことにして・・・。



青の蛍

 夕焼けに包まれて
 ばあちゃんの小さな背中から
 ゆらゆらと 思い出が 
 のぼってゆく
 蛍のように

 黄色はよろこび
 青はかなしみ
 ずっと多いのは
 青の蛍
 でも ばあちゃんの
 口ぐせは
 「幸せな一生やった」


 神さん
 もしいるなら
 ばあちゃんを
 そっと抱いてやってくれないか

 ばあちゃんの痩せた背中から
 ゆらゆらと 思い出が 
 のぼってゆく
 蛍のように
 黄色は少し
 ずっと多いのは
 青の蛍

 でも  ばあちゃんの
 口ぐせは
 「幸せな一生やった」

 神さん
 ここに来て
 ばあちゃんを
 おもいっきり
 抱きしめてやってくれないか


posted by 川竹文夫 at 10:30| 心の弁当箱