勢いで創刊したのは良いけれど、読者はわずか140人。もちろん大赤字。レイアウトは、表紙からすべて、当時大学留年中の息子がやってくれた。友人の多くは、三号もすれば廃刊になると思っていたそうだけど、私は五百号は超えるつもりでいた。
創刊に寄せて
「たった今、始めてしまえ。さもなければ、ようやく芽生えた小さな志も、いつしか泡のように消えてしまうだろう」
胸の奥の声が、もはや無視出来ないほどに大きく鳴り響いている。確かなあては、何一つない。けれど、私は、旅発つことにした。
一昨年の秋だった。いつもの里山に散歩に出掛けた私は、思わず息を呑んだ。
谷あいの田圃には、刈り入れを待つばかりの稲穂が、真昼の光を集めて、黄金の波である。生まれたばかりのガラスのように澄み渡った空の青。そして、直下には金色の散乱。
日常の忙しさに紛れ、季節の移ろいをすら忘れてしまっていた私は、その美しさに意表を衝かれ、しばし、たたずんだ。
いのちの田圃・・・不意に、私の口はそうつぶやき、それを合図に、心は一つの情景をまさぐり始めていた。
病の治癒と、傷ついた人生の回復を目指し、険しい坂道を懸命に歩む人たち。
少し先をゆく人たちが、振り返っては手を差し伸べ、ある時は重すぎる荷物を肩代わりし、共に歩を進め・・・そして気が付けば、みなが皆、思いもしない高みにたどり着く。そこは、新しい価値と使命、そして新たなる出発の喜びが与えられる新天地なのである。
人は病み、人は傷つき、人は時として挫折し、失意にまみれる。しかしその時こそ、人生を癒し、いのちを育てる好機であるに違いない。
起こったことのすべてを静かに受け入れ、自らの責任としてその根を探り、意味をたずね、多くを学ぶ。その先にはきっと、ウェラー・ザン・ウェルの世界が待っている。
ガンやさまざまな病を、ただ治すのではない。治すのはもちろんのこと、美しいこの言葉そのままに、病を得る以前にも増して、心身共に健康で幸せな、真に価値ある人生を送る。
そんな場所、そんな結びつき、そんな癒しの集い。それが、「いのちの田圃」なのである。
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