2013年04月21日

合唱


 結婚式は一瞬のできごとだけど、結婚生活は、お互いにとって、山あり谷あり吹雪あり嵐あり土砂崩れありの難行苦行の長―い時間の連続また連続・・・で、まあ、今は、以下のようになっている次第。


合唱

2012年9月号(141号)より

            
 「一年が速過ぎるね。三日より短い気がする」「まさか。でも、ほんとうね」
 などと、妻と笑ったその日、気がつけば僕は誕生日だった。七十歳がグワンと轟音を発して急接近していたのである。
 『良く生きてこれたね、お互い』と、二人が合唱のように話した(だから、二重カッコにしました)。そう言えば、最近、腹が鳴っても、どっちのが鳴ったのか、分からないことがしばしば。『今のどっち?』と苦笑いし、そのあまりに息の合った合唱ぶりに、また二人で笑う。こんな風だから、一年も速いんですね、きっと。
「へえーっ、そうなのっ!?」と、妻からまったく意外な話を聞かされて驚くことが多くなった。と、たいてい妻はコロコロ笑う。僕は瞬間に悟る、またやっちゃったらしいと。
妻が言う。「何回同じ話聞いても、ブンちゃん(僕のこと)は、新鮮でいいね」。そう。すぐに忘れる。決していいかげんに聞いてるわけじゃない。感動もする。けれど、忘れる。
「いいね、その服。いつ買ったの?」と僕。
「五年前。何十回も着てる」と笑う妻。「いいよ、似合うよ」「アリガト」。こんな風だから、一年も速いんですね、きっと。
駅の改札を入った僕の背中に、妻の声が追いすがってくる。「ハンタイ、ハンタイ。あっちの階段下りてっ」。分かってるよ、そんなこと。と、バレバレのさりげなさで、軌道修正。正しい階段を下りたのはいいけれど、背後のホームに電車が滑り込んでくると・・・「おい、何してんだ俺はっ!」。なぜか逆方向の電車に乗ってしまっている。これ、僕の得意技の一つ。こんな風だから、一年も速いんですね、きっと。
『最近、肌がきれいになったね。シワが減ったね』。ひところ、こんな合唱で盛り上がった日々があって・・・あるとき、とたんにギョッとなった。『もしかして、二人とも目が悪くなっただけ? シワが見えないだけ?』。あれ以来、しなくなったね、この話。 
つい先日、ある漢字が思い出せないので、妻に聞いた。「どう書くの?」と。「コザトヘンにね・・・」とさっそく妻。すると僕。「コザトヘンってニンベンのこと?」「どうして、そうなるの? どう言えばいいのか分かんなーい」。しばらく大笑い。妻の苦労は絶えないまま、結婚して半世紀も近い。
〈今まで内緒にしてたけれど、僕の一番幸せな瞬間、それはね、君の笑顔が膨らんで、大きく開いてゆくのを、ただ眺めてるときなんだ・・・〉
  妻にプレゼントしたあの曲。来年こそ、ピアノ弾き語りで聞かせてあげよう。ぼやぼやしてると、一年なんて、三日より速く過ぎるから・・・ね。



posted by 川竹文夫 at 15:25| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』

気まずい瞬間


「お味噌汁になります」

「いつ?」

「えっ?」

「いつなるの、味噌汁に?」

「・・・・・・・・?」

最近、もっとも気まずかった瞬間


posted by 川竹文夫 at 15:10| 雨の日もいい天気

2013年04月14日

学会誌より その6


「科学革命」とも呼ぶべきパラダイムシフトが始まる

 数年前、私が名古屋で講演をしたときのこと。終了後はたいてい何人もの患者さんやご家族に相談を持ちかけられるのだが、その日は10人以上の行列ができた。
 中に、涙を流しながら話しかけてくる30歳台の男性が一人。近郊の大病院の勤務医だと言う。
 曰く。「今までたくさんの患者さんを三大療法で治療してきたが、ちっとも治らない。今日、川竹さんの話を聞いて、その理由がよく分かった」と。
 かつて、理想に眼を輝かせて医学の道を志し、以来、半生にも匹敵する膨大な時間を投入し忠誠を捧げてきたそのパラダイムが、今は手足を縛る桎梏となって彼らを苦しめているのである。
 そんな折、ガンの患者学研究所が主催する患者会ではここ数年、新しい現象が眼につく。自らガンを患った医師や看護師たちが会員となって例会に参加してくるのである。
 そして異口同音に言う。自分の病院の治療は受けたくない。病院では治らないと。
 そんな彼らを見るにつけ、私の脳裏にはある鮮やかなイメージが浮かぶ。
 それは、かつて何百万人という乗客でにぎわった巨船が、今は見捨てられ無用の箱となりはて波間に漂う姿である。
 〈旧〉から〈新〉へ。初めに、勇気と感性を併せ持った少数の乗客(患者さん)が、ぽつぽつと船を乗り換える。やがてその数は勢いを増し、初めはたかをくっていた船員の中にも確かな動揺が広がる。
 しかも・・・あろうことか、気がつけば既に船を守るべき船員たちまでが、この巨大船を見捨て始めていた。
 そして、なんと幸いなことだろう・・・この流れを一気に加速する手段を我々はしっかりとこの手に握っているのだった。
 それは、〈旧〉にとっても、もっともやっかいな存在、〈変則事例〉、つまり、〈自然退縮者〉である。
 さらに、抗ガン剤をはじめとする副作用による死亡者がガン死者の8割にも達し、あるいは再発すれば即、「もう治らない」ことが常識とさえなっている〈旧〉の現状を見るとき、再発・転移を乗り越えて治った多数の人たちの存在も、〈旧〉にとっては変則事例となるだろう。
 クーンは言う。
 変則事例もそれが少数にとどまるときは無視すればすむ。しかしどんなに取り繕うとも無視できないほどに数が増えたとき、〈旧〉への信頼は内部からも一気に崩れ、「科学革命」とも呼ぶべきパラダイムシフトが始まるのだと。
 とすれば、我々学会のなすべきことはすでに明確だ。
 自然退縮者を次々と輩出すること。〈治ったさん〉を続々と輩出すること。治る法則を導きだすことである。
 そして、我々にはそれが可能だ。
 
 私の胸底に執拗に焼き付いてうずく言葉がある。〈旧〉の信奉者の大イベントでのこと。自らのガンに苦しむ一人の医者から、それは次のように発せられた。
「抗ガン剤は薬物である。しかし我々は、その薬物なくして一日も生きてゆけない」
 そして、絶望的なこの叫びから日ならずして、彼は逝く。
 科学は、人間を幸福にするために存在し、パラダイムシフトは、その目的をより誤り少なく、より確実に実現するためにこそ、存在しているはずだ。
 我々は、パラダイムシフトが速やかに起こることを切に望むが、それは、ただ〈旧〉を打ち倒すことを目的としているのでは、決してない。
 人間を幸福にすることから大きく逸脱した〈旧〉という船から・・・〈治ったさん〉が、自然退縮者が、ウェラー・ザン・ウェルを実現した人たちが、そして治す喜びと誇りを知った治療化や医師たちがさんざめく、この〈新〉に乗り移ることを・・・優しく手を差し出しつつ、促すだけである。〈旧〉という巨船が沈む前に。
 そしてそれが、〈新〉という船に恵まれた我々の責務だとも、私は思う。
 今、季節は6月。小さな団地の古びた机に向かう私の耳に届くのはおびただしいカエルたちの命の歌。そして記憶の彼方からの遠い響き・・・。
 ホーホー、ホータルこい。
 そっちの水は、苦いぞ。
 こっちの水は、甘いぞ。

 優しい呼びかけに応じ、〈旧〉からは、やがて船長も乗り移ってくるだろう、我々のこの船に。
 そのときパラダイムシフトは完成し、そして、新しい歴史が始まるのだ。
   (学会誌より 終わり)


 


歯ぎしり


頑張るのが大好き

一日中

ガンバリに頑張って

疲れきって寝るときも

歯ぎしりを頑張っている


posted by 川竹文夫 at 21:01| 雨の日もいい天気

2013年04月09日

赦(ゆる)しの音


 今年6月15(土)16(日)の両日、私たちは、『日本ウェラー・ザン・ウェル学会シンポジウム』を開催する。そして、次のように宣言する。
「自分の命は、自分で守れ。自分の未来は時分で築け。患者の〈依存〉、医者の〈支配〉。そんな関係から脱却しよう。300人以上の〈治ったさん〉。40人以上の自然退縮者。ウェラー・ザン・ウェル患者学の、自分で治す、知恵と技術がここにある。シンポジウムの二日間、その最新理論を学び合おう、心ゆくまで徹底的に!」
 以下の『巻頭言』は、ここに至る、すべての始まりの瞬間を記したものだ。



赦(ゆる)しの音

         『いのちの田圃』22号(2002年10月)より

 秋。木々や草たちの葉が、水気を手放してゆくにつれ、野に渡る音は、日増しに明るく乾いてくる。
 大好きな、そんな音を拾いに出たはずなのに、突然耳に響いてきたのは、十年前の、あの音だった。
 二十台もの電話が切れ目なく叫ぶ、あの音・・・。
 腎臓ガン発病の二年後、私は、「人間はなぜ治るのか」を制作する。だが、〈心がガンを治す〉と訴えたこのシリーズは、週刊誌から、いわれのない中傷を受けた。曰く。「新興宗教のキャンペーン番組」。
 そして、放送直前にそのことを知ったNHKは、番組に登場するすべての病院の名前を伏せ、どんな問い合わせや相談にも一切答えないという暴挙に出た。
 次から次。来る日も来る日も。私は断るためにのみ、受話器を取り続けた。怒鳴る人。泣きだす人。患者である私にとって、これは拷問に等しい。いかにも容体の悪そうな人には、夜、自宅からそっと電話で教えたが、けれど、そんなもの・・・。
 恐ろしい分量の手紙も届き、深夜、一人で手に取ると指先は冷えて痛み、痛みは、私が患者さんたちに、大きな負債を負ってしまったことを思い知らせるのだった。
 知人の精神科医は、手紙をすべて焼却しろと・・・。しかし、十年後の今も、それは私の部屋にある。
 せめてもの罪滅ぼしに本を書き、ガン患研の活動も開始した。けれど、声がする。どうして、職場のど真ん中で大声張り上げて教えてやれなかったのか。お前にしかできないことを、お前はやらなかった・・・。そんな内なる声が、今も胸の底から、ゆらゆらとヘドロのように立ち上ってくるのだ。
 けれど来春四月。神様は私に、素晴
らしいチャンスを与えてくださる。
 治った百人と治したい千人が一堂に会する『千百人集会』のその瞬間、千百の胸に、新しい音が宿るのだ。
 それは、千人が求めて得られなかった希望の音。百人が、そのまた前の百人から受け取った勇気の音。
 それは、たちまち会場に充満し、すぐにも外に溢れ出て、勇気と希望のうねりを日本列島に広げてゆくだろう。
 その日、私は、手紙を焼く。あの音と決別する。
 「もういいよ」。十年前の人たちが、こんどこそ、そう言ってくれそうな気がするから。



posted by 川竹文夫 at 15:58| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』