2013年03月16日

学会誌より その3


「科学的事実」もパラダイムの船の中

 では、どのようにすればその日はやってくるのか。
 〈旧〉の理論の重要な部分が〈客観的な証拠〉として示された〈科学的事実〉によって否定されたとき、その日はやってくる・・・と私は漠然と考えていた気がする。
 例えば16年前、私はNHK教育スペシャル『人間はなぜ治るのか』三本シリーズで数人の自然退縮者の体験を、テレビ史上はじめて詳細に紹介した。
 再発・転移はもちろん、一晩に二度も意識不明に陥るほどの末期ガンも自然退縮するという事実を〈客観的な証拠〉とともに提示したのである。
 〈旧〉の理論的支柱のすべては、ウィルヒョウのガンの定義「ガン細胞は宿主が死亡するまで増殖する」に発しているのだから、自然退縮者の存在をいう〈客観的な証拠〉によって〈旧〉はその理論的根拠を否定され、となればやがてパラダイムシフトは必然、と私は思った。素朴に。
 が、結果は〈旧〉の医師たちにコントロールされたマスコミジャーナリズムから執拗なバッシングを受けただけ。彼らの牙城はみじんも揺るがず、当然のことながら、パラダイムシフトなど起こりようも無かった。
 私は傷ついた。そして、科学的事実に背いてまで、根拠の無いバッシングを繰り返す医師やジャーナリストたちの人間性と人格に深い疑念を抱く。
 だが、あるとき科学哲学者T・S・クーンの言説に出会い、その見方を大きく修正しつつ今に至っている。
 クーンはまず、観察者の主観にまったく影響されない〈純粋に客観的な事実〉や〈純粋無垢な生の事実〉などは存在せず、あるのはただ、パラダイムの理論的枠組みという色眼鏡を通した事実に過ぎないと主張する。
 つまり。科学者たちが何を〈事実〉や〈データ〉と見なすかは、彼らがどのパラダイムに属しているかによって大きく影響される。
 もっと言えば、データは理論的背景によって、汚染されているというのである。
 クーンと同世代の科学者N・R・ハンソンは、パラダイムのこのような性質を「目の背後の眼鏡」であると比喩した。つまり科学者はまったく意識していなくとも、あらゆるデータや事実は、生まれときからすでに汚染されていると断じたのだ。
 日頃私は、「人が何かを信じるのは、信じるに足る根拠があるからではなく、ただそれを信じたいから。つまり人は、信じたいものしか信じない」のだと考えている。
 けれどもこれはあくまでも日常生活の範囲においてであって、いやしくも科学者がその研究の場において、色眼鏡をかけて観察し実験しデータを導いているとは・・・驚くほか無かった。
       (つづく)


口、舌、胃、腸


口は、舌は、選んで食べる

彼らが、おいしさの記憶にまどろんでいるとき

胃や腸は、懸命に働いている

ときには

意に沿わないものも

送られてくるだろうに



posted by 川竹文夫 at 13:35| 雨の日もいい天気

2013年03月13日

はじめに


人生は、無数の選択から、できている。
何を食べ、
何を考え、
何に価値を見出し、
何をし、あるいは、しないのか。
私たちは、意識的に、あるいは無意識に、
あるときは喜んで、あるときには、やむを得ず・・・数え切れない選択を重ねてきた。  

その選択の結果として、
あなたの〈今〉がある。
私の〈今〉がある。
あなたが今、病んでいるのも、選択の結果。
今の私が、ガンになって良かったと心からの笑顔で言えるのもまた、選択の結果。

二十五年前、私は、今のあなたと同じように、病み苦しんでいた。
それまでの私は、今日までのあなたと、同じ選択を繰り返していたから。
人生を傷つけ
命を破壊する
そんな選択を、積み重ねていたから。

そう。
すべては
選択の結果なのだ。
ならば
変えよう、選択を。
人生を傷つけ命を破壊する
そんな選択は、捨て去るのだ
勇気を持って、今すぐに。
そして
新しい選択を始めよう。
希望を持って、今すぐに。
かつて
想像もできなかったほどの、
素晴らしい〈結果〉を信じて。

これは
あなたが、ガンを治し
喜びの人生を始める
困難だが、それだけに、誇りに満ちた
心の旅だ。

あなたさえ諦めなければ
私はどこまでも
あなたの旅に、寄り添っていくつもりだ。
それが
一足先に
喜びに満ちた
新しい人生を手に入れた者の
役割だと思うから。

時は今!
さあ、始めよう
大いなる、一歩を!




霧が

山を林を枝に遊ぶ小鳥たちを

白く包んでゆく

すべてを隠し終わったら

私の心の姿を

見せてくれようとして

posted by 川竹文夫 at 09:00| 雨の日もいい天気

2013年03月09日

カハル、世界への旅 第三回


妙な気分

 そして翌日。
 私は、古びた自動ドアが開くのを待ちきれないような高ぶる気持で、CDショップの店内に足を踏み入れた。MISIAのあの疑惑のCDを交換してもらうために・・・。
 疑惑? そう。私は確信したのだ。妻と二人で力を合わせても、さっぱり歌詞が聞きとれないのは、きっと、CDが壊れているせいだ。今まで、どこでも聞いたこともない奇妙なメロディーであることも、そのせいに違いない。レコードの針が飛ぶみたいに・・・と。
 だから、買った店で正常なものに交換してもらう・・・至極当然のことだ。
 が、次の瞬間だった。
 「待てよ?!」と、思った。
 何事にもせっかちな私には、めったにないことだが、何かこのまま勢いにまかせて行動してはいけないような、何とも言えない、慎重な、後ずさりするような気分に襲われたのである。
 「待てよ・・・もしかして壊れていない可能性もないわけではない。ゼロではない。その場合・・・恥を・・・うーん、待て」
 で、一、二、三秒。私は決心した。もう一枚、同じものを買おう!


壊れているのは、何?

「どうだった?」
 妻が、そっと、私にたずねた。
「うん、二枚ともいっしょだった」
「ふーん」
 その後は、二人とも無言。
 疑惑のCDも、新たに買ったものも・・・二枚とも、まったく同じように、〈とっても変〉に聞こえる。
 私は、この冷厳な事実が意味することを、じっと受け止めていた・・・なんて書くと、まるで命がかかっているような、何か重大なことに思えてしまうけれど、なんてことないのさ。二枚とも同じということは、CDは壊れていないということなのさ。でもって、壊れているのは、私の耳かもしれないってことなのさ・・・。ねっ、論理的にそうなるってだけのこと。


アンケートだって?

 数日後。
 私は、アンケート用紙に、十分な筆圧をかけて書きこんでいた。MISIA『眠れぬ夜は君のせい』と。
 えっ? 話が飛びすぎてわからない? 順序立てて話してくれって? 
 はいはいはい・・・あのですね、この日私は、あるミュージックスクールに来ていたのです。何のためにって・・・そりゃ、あなた、決まってるでしょ。レッスンを受けにきたのです。
 えっ? どうしてまた? 
 どうしてって、MISIAの『眠れぬ夜は君のせい』を上手に歌えるようになりたいからです。
 えっ? だってその曲、まったくわけが分からなかったんでしょ? CDが壊れてると思ったくらいに、それがどうしてまた?
 あーっ、もう。あんたも少しは自分の頭で考えたらどうなの? まったく。ともかくですね、今どきの若い人は、こんな歌が好きなのか、 だったら、俺も歌ってみたいなって、それだけだよ。
 で、渡されたアンケート用紙をみたら、「あなたの好きなアーティストや曲を教えてください」ってあるから、正直に・・・。


青虫と毛虫

「おーっ、凄いですね。MISIAさんがお好きなんですか」
 アンケートを見ながら、若い男の先生が、何とも良く響く快活な声を張り上げた。
 曖昧な笑顔を張りつかせて戸惑う私にお構いなしに、先生は・・・。
「いやー、なぜかちょうどここに『眠れぬ夜は君のせい』の楽譜があったりなんかして、どうぞどうぞ、さっそく、歌ってみましょうか」
 強引にスタジオへと私を案内し、早くもピアノを引き出したではありませんか。
 凄いと思った、心底。
 先生のピアノがではなく、歌い出した、私自身のことが。
 そうなのですよ。リズムもメロディーも、サッパリ何のことやらわからず、かてて加えて、歌詞も聞き取れず、歌詞カードの文字も小さくて読めず・・・なのに、私は、歌ったのですよ、実際に声も出して、何事かを。
(そのとき、どんな歌詞で歌ったのか今もどうしても思い出せない。というか、思い出すのが、怖い)。 
 でも、ともかく、歌った。出来不出来はさておくとして、ともかく歌った。で、あなたの意見をお聞きしたいのだけど・・・ピアノの音に対するこの反射神経って、もしかしたら、才能?
 でないことは、先生の表情をみて、瞬時に私にも理解できた。
 青虫と毛虫を、交互に並べるんです、交互に。青、毛、青、毛、青、毛という風に、数十匹。でもって、その上に、うっかり素足で
乗っちゃった・・・そんなお顔でした、先生は。
 堀井先生、その節は、本当に本当に、ごめんなさい。
             つづく



posted by 川竹文夫 at 17:08| カハル、世界への道