2013年03月29日

運命の子犬


運命の子犬



一緒に帰ろう

 その箱が視界に飛び込んできた瞬間・・・。
 これは、買わなきゃいけない。
 そう思った。と、ほとんど同時に、すでにしっかりと手に取っていた。
 絶対に、連れて帰らなきゃ。
 冷たい雨に濡れて震えながら、ずっと僕を待っていてくれた子犬を抱きしめるように、心に、そう呟いていた。
「これください」
 驚く女性店員に、決然と差し出す。もちろん、値段などいっさい確かめない。そんなこと、したくない。
「お買い上げですか?」
 うなずき返しながら、僕は質問する。
「いつから、ここにあったのですか?」
 二週間前からの特別展示で、今日がその最終日。しかも、後三十分ほどでこのコーナーは片づける予定だったと、少しばかり興奮ぎみに話す彼女に適当な相槌を打ちながら・・・待たせてごめんね。僕は、子犬に、心のなかで何度も謝っていた。
 
 


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テラテラ極彩色

 ここは、都内有数のデパート。片隅に小さなワゴンがあり、そこに、二十個あまりの箱が並べられていた。すべて、デザイン学校の学生たちが作ったティッシュペーパーの箱だという。
 なるほどね。どれもみな、センスがいい。こじゃれている。それだけに、ありきたり。
 が、一つだけ・・・なんとも異様なものがあった。それが、僕をひたすら待っていた子犬、というわけだ。
特殊な樹脂で作られたというケーキのオブジェ。その盛り上げ方が凄い。これじゃ、ティッシュを引き出すとき、どうやっても邪魔になるだろう。
 おまけに、これでもかとばかりに、こってりテラテラ極彩色で、いったい、どんな部屋に置けば、おさまると言うんだい?
でも、お前は、こうなんだよな。
こけ以外のありようは、知らないんだよな。


小さなエール

 そしてきっと、お前の作者は・・・お前以上に・・・不器用で、場違いで、浮きに浮いて、回りの冷たい視線を浴びるだけ浴びて・・・弱気のときは、困惑と恥ずかしさにうつむきそうになり・・・けれど、すぐまた「負けないもん!」と、自分を励まして胸を張り、でもまた、うなだれそうになり・・・そんなことを繰り返しつつ、生きてきたに違いない。
 それでなくとも生きにくいこの社会でこの世間で、自分を、いっそう生きにくくしながら、これからも生きていくのだろう・・・僕と、同じように。
 すっかり雨に濡れて、いつ現れるともしれない僕をずっと待ち続けてくれていた、この子。運命のこの子。
 やっと出会えた今日こそ、絶対に、連れて帰る。
 きっと、僕にそっくりに違いない、この子の生みの親。顔も名前も知らない、そんなあなたに、そっとエールを送るため。
 そして、僕自身にも、小さなエールを送るため。
 これからもずっと・・・あなたが、あなたらしく、僕が、僕らしく・・・不器用に生きて行けるよう、願って。


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posted by 川竹文夫 at 07:29| 心の弁当箱

2013年03月28日

メガネと靴下


頭にメガネをのせて

メガネを探している妻

それを見て笑っている僕は

昨日

片方の足に、二枚靴下をはいて

どうしても、もう片方が見つからず

不思議でたまらなかったのさ



posted by 川竹文夫 at 20:23| 雨の日もいい天気

2013年03月24日

学会誌より その4


人は見たいものしか見えない

 クーンはさらに言う。
 ひとつのパラダイムは科学者共同体をつくり、そこに属する者は一切の疑問を抱かず、むしろ常に、さまざまな現実の問題に対してその有効性を確認しようとし、理論を補強し、適用範囲を広げていこうと努めるものだと。
 先述のテレビ番組『人間はなぜ治るのか』で、自然退縮の存在を明らかにした私のもとに、ある公共機関の勤務医から、〈客観的なデータ〉が送られてきた。
 複数の胃ガン患者を〈本人の希望により〉手術せずに観察したところ、やはり、確実にガンは進行した。だから自然退縮などあり得ないのではないかと

 先に私は「人は信じたいものしか信じない」と書いたが、今、次のように続けたい。
 「そして人は、見たいものしか見えない」
 番組制作中にはまた、こんなこともあった。 
 膵臓ガンを自然退縮させた人の主治医に電話で確認したところ、やがて答に窮した彼はこう言って電話を切る。
 「あれは、ガンでなかったと思う。私の誤診でした」
 クーンは、次のようにも言っている。
 あるパラダイムに属する科学者が、どんなに努力しても彼らの理論では説明できない〈変則事例〉に遭遇するときがある(自然退縮がまさにそれ)。と、彼らは決してパラダイムの修正を試みたりせず・・・まず、自分たちの実験や観察に誤りがあったと考えると。「自分の誤診だった」として難を逃れた(?)先の医師は、まさにこの典型だ。
 クーンは続ける。
 その変則事例が少数だと思われた場合は、存在そのものを無視してしまうと。つまり無かったことにするわけだ。
 いつだったか、国立がんセンターの医師がおおむね次のように書いているのを目にしたことがある。
 「自然退縮は、もしあったとしてもひとつのエピソードに過ぎない」と。
 エピソードとは・・・つまりまあ、単なる話であって、あってもなくても大勢に影響はないとでも言いたいらしい(それならなぜ、わざわざ書いたりするのか、ぜひとも知りたいところ)。
 「なんとまあ、人間的な!」と、クーンのおかげで科学と科学者に対する美しい誤解が解け、肩の力が抜けた今の私は、余裕を持って微笑むのだが・・・このように、パラダイムとは、科学者共同体が営々と築きあげた、強固な〈信念の体系〉という一面を持っているものなのである。
 言うまでもなくこのことは、〈旧〉に対してだけ当てはまるものではない。私が発展させようとしている〈新〉もまた同様の性質を持っているはずだと、公平を期すために明記しておこう。
        (つづく)



漫画


テストの直前

むしょうに漫画が読みたくなった

子供のころ

仕事を溜めて

大長編小説に手を伸ばす

今日このごろ

平和に繰り返している


posted by 川竹文夫 at 20:23| 雨の日もいい天気

2013年03月19日

振る舞いが違うだけで


水と氷と湯と湯気と

霧と霞と雲と雨と

霙と雪と

どれもみな H
2O

振る舞いが違うだけで

こんなにも世界が違う

芸術だね



posted by 川竹文夫 at 21:04| 雨の日もいい天気