2013年02月17日

もうひとつの物語製作所


 もう何十年と住み慣れた町なのに、あまりにも何気なく、そっと置かれていて・・・つい、見過ごしてきた。そんな小さな場所に、ふと、出会うことがあります。
 湿った路地奥で陽光を一人占めしているマンホール。竹林の下を細く流れる苔むした用水路。鼻の欠けたセメント製の天狗がたたずむ、傾いた御堂。
 あれっ。
 この世で初めての風が、そっと流れ込んできたような思いがけない贈り物に、ドキドキしながらも。
 今まで、気づいてあげられなくて、ごめんなさい。そんな、申し訳ないような気持ちもどこかにあって・・・。


柔らかな場所

 町に、そんな場所があるように、誰の心にも、ずっとしまいこまれてきた、柔らかな場所があります。
 なんという幸運なことでしょう、今年、六十七歳になった私にも、最近、そんな心の場所が、また一つ、見つかりました。
 それは、『もう一つの物語製作所』。


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 写真は、そこで生まれた、第一号作品です。といっても、私が何かの手を加えてできたものではありません。
 藤か何かの小枝なのでしょう。このままの姿で、いつもの散歩道に落ちていたのです。 
 いつから落ちていたのか、何人の人が、この落し物(?)の脇を通り過ぎていったのか、分かりません。ただ言えるのは、誰も、こんな小枝の存在になど、気づかなかったのだろうという、余りにも取るに足りない、ささやかな事実。
 けれど、私は、この小枝の存在に気づいてしまった。そして、拾い上げるなり、自分でも分かるほどの笑顔を広げたのです。
 「おおっ! 収穫!」
 おどけて小さく叫びながら、私はすでに、連れて帰ってやろうと思いました。そして、陶製の、あの器に入れ、大切に飾ろうと決めていました。キーボードの脇に。

 
大切だけど、深刻じゃない

 呆れて微笑する妻を横目にみながら、私は、小枝に、無言で語りかけていしました。
「オイオイ。こんなに悩んでしまっちゃ、だめだよ。絡み合って、こんがらがって、永遠に解けそうに見えない・・・まさしく、葛藤だね」
 人生はとても大切なものだけど、自分という存在は、かけがえのないものだけど・・・だけど、深刻になっていしまったら、生き辛い。そんなときは、「自分なんかどうころんだところで、いずれ、大したことはない」。そんな風に突き放して見るのもいいね。
 気がつけば、いつしか私は、自分に語りかけていました。
いや、このときはすでに、小枝が、私に語りかけていたのかもしれません。いつも、抱えきれない悩みを抱えがちな、不器用な私であることを、いちはやく見抜いて。
 こうして、小枝は、私とふたりで、もうひとつの物語をつくり続けていくことになったのです。
私が生き、私が物思い、小枝がそばにある限り。私の心の、いちばん柔らかな場所を、与えられて・・・。


posted by 川竹文夫 at 20:58| 心の弁当箱