2013年02月06日

第一回 すべては幸せの前ぶれ


私が代表を務める『NPO法人ガンの患者学研究所』には、テーマソングがあります。けれど残念ながら、会員さんにもあまり知られてはいない。
 タイトルは『笑顔の虹』と言います。 
 あっ、ね、ほらっ!
「そんなのあったの!? 私、入会三年になるけど」って・・・たった今も、驚く声が聞こえてきた。とまあ、こんな具合に知られていません。ひとえに、私のPR不足のせいです。
 というわけで(そのうち動画で聞いていただけようにするつもりですが)、とりあえず歌詞だけでも紹介しますね。ちなみに作詞は、この私、川竹文夫です。


『笑顔の虹』

(作詞・川竹文夫 作曲・堀井信矢)

黒い雲から こぼれ落ちた
ひと粒のひと粒の 孤独な涙
いとしい人の頬を濡らし
それが私たちの始まりだった
たどりつくそこは 勇気育む 青い海
気がつけば 声合わせ 歌ってた
すべては 幸せの前ぶれだから
すべては 幸せの前ぶれだから

始まりはすべて 小さくて
ひたむきに ひたむきに 歩みを重ね
それが私たちの 誇る旅だった
たどりつくそこは 幸せひらく青い空
涙たち 笑顔の虹に なってゆくよ
すべては 幸せの前ぶれだった
すべては 幸せの前ぶれだった

ああ 世界に 幸せの橋架けて
笑顔の虹は 語り告げ
すべては 幸せの前ぶれだから
すべては 幸せの前ぶれだから



『笑顔の虹シンガーズ』 
 
 さてここで、注目していただきたいのは、三度出てくる、サビの歌詞。
「すべては幸せの前ぶれ」と、繰り返されるのだけれど、「・・・だから」と続くのは、
一回目と三回目。二回目のサビだけは、「・・・だった」となっている。
 ここが、要注意なのです、歌うときに。もう一度言います。ここが要注意。
と、何度注意を促しても、ついつい、二回目のサビも「すべては幸せの前ぶれ・・・だから」と歌ってしまいがちなのですよ。
これもあまり知られていないことですが、歌好きの会員仲間で作ったグループがあります。その名も〈笑顔の虹シンガーズ〉。
今は訳あって冬眠中だけど(またやろうね、みんな)、練習では毎回必ずこれを歌うにも関わらず・・・それにもかかわらず、間違える人がいるのです。


要注意人物

 歌詞は言うまでもなく、突然のガン宣告から今日までの、自分たちの心の歩みそのもの。
その上、曲がまたいい。まさに堀井先生渾身の名曲。なので、いやが上にも盛り上がる。気分も乗って、涙さえ胸にせり上がってきて、いよいよ、二回目のサビが近づいてくる。
 と・・・あれだけしつこく、「二回目のサビは〈だった〉だからね、〈だった〉だよ」と、言い聞かせていたにも関わらず、ついつい感情の波に飲みこまれて・・・気がつくと「だから」と歌ってしまっているではないですかぁ。後悔すでに遅し。覆水盆に返らず。「またやっちゃったよ、どうしよう」なんて、嘆く間もなく、曲は一切お構いなしに、進行してゆく・・・。いけないっ! てんで必死で気分を立て直しつつ、曲について行こうとするのだけれど、ついつい、「ホントにもうっ、あれだけ注意しろって言ったのにぃ!」と、実りのない自己批判が鎌首をもたげてきて、失敗が失敗を呼ぶことになりかねなく・・・。
 えっ? どうして、そんなに失敗した人の心理描写が、リアルなの?・・・ですか。フッフ。それはね、いつも失敗するこの人は、ほかならぬ、作詞者である私本人だからなのです。
 メンバーには、さんざん言われました。
「全部、〈だから〉にすればいいのに、どうしてわざわざ、〈だった〉なんかにしたのっ!自分で自分の首絞めてるじゃないですかぁ」
 (つづく)
 


posted by 川竹文夫 at 10:25| 心の弁当箱

「はじめに」と「あとがき」

 
この本が生まれる経緯を知っていただくために、
第一回の今日は「はじめに」と「あとがき」を
お読みください。

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はじめに

 NHK広島局は、世界で初めての被爆放送局としての宿命を負っている。
この四十年の間、一貫して原子爆弾による惨禍を明らかにし、二度とこうした悲惨な出来事が起こらないようにとの願いを込めて、原爆ドキュメンタリーと呼ばれる一連の番組を制作し続けてきた。その数は、テレビ、ラジオをあわせて八百本以上にのぼる。
 昭和六十年八月六日。被曝四十年にあたるこの日、私たちはそうした原爆ドキュメンタリーの集大成ともするべく、NHK特集『爆心地・生と死の記録』を放映した。
 爆心地とは、原爆の爆発点直下の地点から半径五百メートル圏内を言う。爆風、熱線、放射線など原爆のもたらした打撃が最も苛烈であった。
 昭和二十年八月六日、午前八時十五分、原爆炸裂の瞬間、そこには推定二万一千人の人々がいた。そして彼らはすべて死に絶えた。一般には、こう信じられてきた。しかし私たちの調査した事実によれば、四十年後の今も、五十七人の生存者がいたのである。この発見の始まりは、昭和四十三年に遡る。この年の春、NHK広島局と広島大学原爆放射能医学研究所(略称 原医研)は、爆心地にあった街並みを地図に復元するという、共通の目的の下に、共同して精力的な調査、キャンペーン活動を展開した。
 遺族や知人、隣人を探しあて、情報を得る。あるいは、回覧板の順番を示すメモや隣組の名簿など、片々たる資料を発掘しては、それらをもとに、被爆前、どこに、どの様な家族が住み、誰が暮らしていたのかを、一つひとつ明らかにしていったのである。
 以来、その調査活動は、一旦、復元地図が完成した後も、NHKと原医研の双方において独自に続けられてきた。
 五十七人の生存者は、両者のその様な長年の蓄積の上に、昨年二月以降、私たちNHK広島局・原爆プロジェクト・チームが、更に新しい取材を加えた結果、初めて明らかになったのである。
 先の番組は、そしてこの本は、全国に散らばる爆心地生存者を一人ひとり訪ね歩き、これまで決して語られることのなかった証言を掘り起こすことから出発した。
 白血病、肺癌、乳癌等々、原爆放射能による様々な後障害との闘い、そして底知れぬ不安。これが彼らの語られざる四十年間であった。一方、不幸にも生命を奪われてしまった二万人以上の人たちは、いつ、どこで、どの様にして死なねばならなかったのか・・・。
 この本は、これまで殆どその詳細をしられることのなかった爆心地で、一体どの様な悲劇が起こり、そして四十年後の今なお続いているかを、新事実の発掘をもとに、科学的かつ総合的に解明しようとしたものである。
 
今年四月二十六日、ソ連のチェルノブイリで起きた原発事故は、人々に放射線の恐怖を改めて印象づけた。既に三十人近くの人命が奪われ、放射能を浴びた生存者たちは、今後、三十年、四十年の長期にわたって後障害が心配されるという。
 広島の爆心地の人々、そして全被爆者は、まさにこの恐るべき事実の中を四十年間生き抜いてきたのである。
 原爆は昔話ではない。被爆四十年の節目にたち、私たちは、この本の中に、核の時代への大きな警鐘を読みとっていただけることを切に願っている。
 
   昭和六十一年六月二十三日
        NHK広島局・原爆プロジェクト・チーム



あとがき

 被爆者の証言は、かけがえのない貴重なものである。このことに異論はない。しかし……と私は首を傾げる。その貴重な証言が、これまでの映像や活字の世界で充分に活かし切れていただろうかと。例えば、これまでそうしたものの受け手でもあった私自身にとってはどうであったか……。
 被爆者の証言を初めてテレビで見たときはショックを受けた。残酷で無惨だと思った。しかし、いくつか見ているうちに、ある物足らなさを感じ始めた。証言者が力を込めて語ろうとすればするほど、ただ、ある種の悲惨な気分だけが印象に誇り、さて、証言のディテールをどうつなぎ合わせてみても、戦後生まれの私には、原爆の惨禍の全体はとても理解し難く、証言の背景すらも知り得なかったのである。それぞれの証言は孤立したまま特異な体験として終わり、ついにトータルに何かを形づくるということがない。いったい広島で何が起こり、どの様にして人々は殺され、生存者は、何故、今なお苦しまねばならないのか、その全体像が受け手の私には見えにくかったのである。
 私自身の鈍感と、想像力の欠如とを棚に上げて言うなら、そこでの証言の提示の仕方に一つの限界があったのかも知れない。証言が貴重であるという、その自明性に寄りかかって、証言を読みほどき、整理をし、更にはその背景を明らかにする努力が不足していたようにも思える。
 被爆者の証言は貴重である。しかし……。
 今回、この本をまとめるにあたって、私たちが自らに課したのは、このしかし≠ノ対する、何らかの回答を示すことであった。そのため、爆心地被爆者の証言を柱にしながらも、彼らの生死を分けたもののメカニズムを原子物理学の視点から解明し、また、彼らを四〇年後の今なお苛み続けるものの正体を、最新の医学、分子生物学の立場からつきとめようとした。この試みが、これまであまり原爆に関心のなかった人たち、なかんずくそのような若い人たちにとって有効であれば幸いである。
 本書は全体の三分の二を川竹が書き、残り三分の一を柳田昌賢、遠藤絢一、福島昭、柏木敦子の四人が分担して執筆、それを更に川竹が全面的に書き改めた。従って最終的な文責はすべて私にある。
 取材にあたっては、広島大学原医研を始め、各研究機関の方々に本書の基礎を成す実験データや情報を提供していただいた。巻末に名を掲げて感謝を表したい。また、二年も前から終始、執筆を励ましてくれた編集部の道川文夫氏、向坂好生氏にもお礼を申し上げる。
 最後に、語ることの困難と苦痛を乗り越えて、長時間のインタビューに応じて下さった五七人の生存者の方々、また多くの遺族の方々に、心からお礼を申し上げねばならない。そして、本書がこの方々の献身に、多少なりとも報いられるものであることを何よりも念願する。

    昭和六一年六月末日
           NHK広島局・原爆プロジェクト・チーム・川竹文夫


posted by 川竹文夫 at 09:55| ヒロシマ爆心地