2013年02月06日

「はじめに」と「あとがき」

 
この本が生まれる経緯を知っていただくために、
第一回の今日は「はじめに」と「あとがき」を
お読みください。

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はじめに

 NHK広島局は、世界で初めての被爆放送局としての宿命を負っている。
この四十年の間、一貫して原子爆弾による惨禍を明らかにし、二度とこうした悲惨な出来事が起こらないようにとの願いを込めて、原爆ドキュメンタリーと呼ばれる一連の番組を制作し続けてきた。その数は、テレビ、ラジオをあわせて八百本以上にのぼる。
 昭和六十年八月六日。被曝四十年にあたるこの日、私たちはそうした原爆ドキュメンタリーの集大成ともするべく、NHK特集『爆心地・生と死の記録』を放映した。
 爆心地とは、原爆の爆発点直下の地点から半径五百メートル圏内を言う。爆風、熱線、放射線など原爆のもたらした打撃が最も苛烈であった。
 昭和二十年八月六日、午前八時十五分、原爆炸裂の瞬間、そこには推定二万一千人の人々がいた。そして彼らはすべて死に絶えた。一般には、こう信じられてきた。しかし私たちの調査した事実によれば、四十年後の今も、五十七人の生存者がいたのである。この発見の始まりは、昭和四十三年に遡る。この年の春、NHK広島局と広島大学原爆放射能医学研究所(略称 原医研)は、爆心地にあった街並みを地図に復元するという、共通の目的の下に、共同して精力的な調査、キャンペーン活動を展開した。
 遺族や知人、隣人を探しあて、情報を得る。あるいは、回覧板の順番を示すメモや隣組の名簿など、片々たる資料を発掘しては、それらをもとに、被爆前、どこに、どの様な家族が住み、誰が暮らしていたのかを、一つひとつ明らかにしていったのである。
 以来、その調査活動は、一旦、復元地図が完成した後も、NHKと原医研の双方において独自に続けられてきた。
 五十七人の生存者は、両者のその様な長年の蓄積の上に、昨年二月以降、私たちNHK広島局・原爆プロジェクト・チームが、更に新しい取材を加えた結果、初めて明らかになったのである。
 先の番組は、そしてこの本は、全国に散らばる爆心地生存者を一人ひとり訪ね歩き、これまで決して語られることのなかった証言を掘り起こすことから出発した。
 白血病、肺癌、乳癌等々、原爆放射能による様々な後障害との闘い、そして底知れぬ不安。これが彼らの語られざる四十年間であった。一方、不幸にも生命を奪われてしまった二万人以上の人たちは、いつ、どこで、どの様にして死なねばならなかったのか・・・。
 この本は、これまで殆どその詳細をしられることのなかった爆心地で、一体どの様な悲劇が起こり、そして四十年後の今なお続いているかを、新事実の発掘をもとに、科学的かつ総合的に解明しようとしたものである。
 
今年四月二十六日、ソ連のチェルノブイリで起きた原発事故は、人々に放射線の恐怖を改めて印象づけた。既に三十人近くの人命が奪われ、放射能を浴びた生存者たちは、今後、三十年、四十年の長期にわたって後障害が心配されるという。
 広島の爆心地の人々、そして全被爆者は、まさにこの恐るべき事実の中を四十年間生き抜いてきたのである。
 原爆は昔話ではない。被爆四十年の節目にたち、私たちは、この本の中に、核の時代への大きな警鐘を読みとっていただけることを切に願っている。
 
   昭和六十一年六月二十三日
        NHK広島局・原爆プロジェクト・チーム



あとがき

 被爆者の証言は、かけがえのない貴重なものである。このことに異論はない。しかし……と私は首を傾げる。その貴重な証言が、これまでの映像や活字の世界で充分に活かし切れていただろうかと。例えば、これまでそうしたものの受け手でもあった私自身にとってはどうであったか……。
 被爆者の証言を初めてテレビで見たときはショックを受けた。残酷で無惨だと思った。しかし、いくつか見ているうちに、ある物足らなさを感じ始めた。証言者が力を込めて語ろうとすればするほど、ただ、ある種の悲惨な気分だけが印象に誇り、さて、証言のディテールをどうつなぎ合わせてみても、戦後生まれの私には、原爆の惨禍の全体はとても理解し難く、証言の背景すらも知り得なかったのである。それぞれの証言は孤立したまま特異な体験として終わり、ついにトータルに何かを形づくるということがない。いったい広島で何が起こり、どの様にして人々は殺され、生存者は、何故、今なお苦しまねばならないのか、その全体像が受け手の私には見えにくかったのである。
 私自身の鈍感と、想像力の欠如とを棚に上げて言うなら、そこでの証言の提示の仕方に一つの限界があったのかも知れない。証言が貴重であるという、その自明性に寄りかかって、証言を読みほどき、整理をし、更にはその背景を明らかにする努力が不足していたようにも思える。
 被爆者の証言は貴重である。しかし……。
 今回、この本をまとめるにあたって、私たちが自らに課したのは、このしかし≠ノ対する、何らかの回答を示すことであった。そのため、爆心地被爆者の証言を柱にしながらも、彼らの生死を分けたもののメカニズムを原子物理学の視点から解明し、また、彼らを四〇年後の今なお苛み続けるものの正体を、最新の医学、分子生物学の立場からつきとめようとした。この試みが、これまであまり原爆に関心のなかった人たち、なかんずくそのような若い人たちにとって有効であれば幸いである。
 本書は全体の三分の二を川竹が書き、残り三分の一を柳田昌賢、遠藤絢一、福島昭、柏木敦子の四人が分担して執筆、それを更に川竹が全面的に書き改めた。従って最終的な文責はすべて私にある。
 取材にあたっては、広島大学原医研を始め、各研究機関の方々に本書の基礎を成す実験データや情報を提供していただいた。巻末に名を掲げて感謝を表したい。また、二年も前から終始、執筆を励ましてくれた編集部の道川文夫氏、向坂好生氏にもお礼を申し上げる。
 最後に、語ることの困難と苦痛を乗り越えて、長時間のインタビューに応じて下さった五七人の生存者の方々、また多くの遺族の方々に、心からお礼を申し上げねばならない。そして、本書がこの方々の献身に、多少なりとも報いられるものであることを何よりも念願する。

    昭和六一年六月末日
           NHK広島局・原爆プロジェクト・チーム・川竹文夫


posted by 川竹文夫 at 09:55| ヒロシマ爆心地

2013年02月05日

第一回 苦い問い

苦い問い

私たちガン患者は・・・。
いつから、
なぜ、
こんなことに、
なってしまったのだろう。
 自分の身体を、自分の心を、人生を命を、医者にあずけてしまうようになったのだろう。
昨日まで、顔も名前も知らなかった、医者という名の赤の他人に・・・。たったひとつの、かけがえのないものを・・・。
そしてそのことに、何の疑問も抱かない・・・。

この問いは、1990年の腎臓ガン発病とともに私の胸に宿った。著書「幸せはガンがくれた」(創元社)に、次のように記している。

林の中の散歩をはやばやと諦めた私は、団地の一室で、あまり気乗りもしないまま、読みさしの本を手にした。体調はすっかり回復し、すでに仕事にも復帰しているというのに、入院中にもまして沈んでくる気持ちを、すっかり持て余していたのである。理由は分かっていた。あの時の自分が、しばしば発したあの言葉の、隠された意味に気づいたからである。
「先生、よろしくお願いします」
ガンだと知って後、私はいく度となく、この言葉を繰り返した。手術の前も、その後も。もちろんこれは習慣的な挨拶の一つ、単なる礼儀にすぎない。少なくとも表面的には。しかし、あの時の私は、違っていた。
「先生だけが、頼りです」
明らかに、そういう意味を色濃く含んでいた。そうでなければ、あんなに何度も繰り返すことはなかったはずだ。昨日までは顔さえ知らなった人物に、自分の運命を全面的に委ねてしまった。その悔しさと情けなさは、肉体の苦痛が軽減されるに従って、じわじわと膨らんでくる一方であった。
どうして、いとも簡単に、私は、ああなってしまったのか・・・「汝、我に何のかかわりあらんや」・・・人に頼らず、おもねらないこと、それが私のささやかな信条でもあったのに・・・。


命の丸投げ

あれから、およそ四半世紀。
今の私は、ガンになる以前よりも、身心共に、はるかに健康で幸せな人生を満喫している。
だが、それにも関わらずこの問いは、弱まるどころかますます執拗に、私に突き刺さってくる。
なぜか・・・。
 あのとき、私がしたことは、今にして思えば、〈命の丸投げ〉とでも名付けるしかない、愚かで無責任な行為であった。その償いを、自分自身に対して、まだまだ十分に果たしたとは言えないからだ。
そして・・・。
幸いにして私は、〈命の丸投げ〉から脱却することができた。だが、多くのガン患者さんは、ことの重大さに気づかないまま、半ば無意識的に、半ばは意図的に丸投げを続け、ついに命を落としている。そんな悲劇を、少しでも防ぎたいからだ。
さらに・・・。
〈命の丸投げ〉は、ことガン患者だけにとどまらず、あらゆる病の患者さんに、等しく及んでいる。つまりこれは、病む人たちすべての問題だからだ。
さらにさらに・・・
〈命の丸投げ〉は、病者だけに特有の問題ではない。未曾有の原発事故を引き起こさせた背景にも、それは存在する。なおかつ、すでに事故などなかったかのように振る舞まいつつある私たち日本人に、それは存在する。
また、私たちの多くが、無自覚的に〈命の丸投げ〉をするのは、そうさせるよう、周到に巧妙に仕組み、私たちの心をコントロールする、一群の人間が存在するからでもある。
もちろん、その構図は、ガン医療とガン患者の関係そのままである。


すべての人に、ウェラー・ザン・ウェルを

とすれば・・・
一度は死を垣間見ることで、誰よりも、命の弱さ愛しさ貴さを知る、私たちガン患者が、まっさきに〈命の丸投げ〉から脱却して見せよう。
誇り高い〈自立した人間〉となろう。
そして、多くの人たちにその生き様を、見ていただこう。
といっても、何も、肩肘を張る必要はない。
まずは、自分のガンを治すため、自分の命を守るため。どこまでも自分のため。それでいい。
けれど、嬉しいことに、私たちが、ガンを治すために、気づき、目覚め、脱却し、自立するプロセスは、そのまま、いつの間にか、他の多くの人たちのモデルになっている。  
すなわち、たくまずして、〈利他〉の行為となっているに違いない。
「ウェラー・ザン・ウェル(Weller Than Well)
」とは、ガンになる以前よりはるかに、心身ともに健康で幸せ、という意味。
 この言葉は、ガン以外の病気にも、そのままあてはまる。病気以外の、いかなる困難や挫折にも、そのままあてはまる。
だから。
私たちガン患者が、ウェラー・ザン・ウェルを実現するとき、それはきっと、すべての人たちの、命の上に実現する。
 その日を目指して、冒頭の、あの苦い問を、自らに向け続けることから、この考察を始めたい。
いい質問こそが、いい人生を、言い世界を作るから。

私たちガン患者は・・・。
いつから、
なぜ、
こんなことに、
なってしまったのだろう。

カハル、世界への道 第一回

歴史的瞬間

カハルの名を公にするのは、何を隠そう、このプログがまったくの最初。
て、ことは・・・そうです! あなたは今まさに、世界的歌手の卵が生まれる歴史的瞬間に立ち会っているのですぜっ! 
と恩着せがましく言われて感動する人など一人もいないことは、私もよーく分かっております。おりますが、これくらいヤケクソの勢いとデカイ態度で書き始めなきゃ、さすがの私も、いささか照れくさいというか、超恥ずかしくて、筆が進まない。何しろ、〈世界への道〉ですからね。
ここで、緊急アンケートです!!
以下の項目のうち、あなたは何から知りたいですか? その順番を教えてください。できるだけ、みなさんの興味にそって書いてゆきたいと思います。
注!!「いやべつに、何も知りたくない」なんてな残酷な回答は厳禁!!


1 カハルの名前の由来は?
2 〈世界〉とは、具体的に何を指す?
3 野望を抱いた、きっかけは?
3 世界を狙う本気度は?
4 ぶっちゃけ、どの程度、歌えるの?
5 過去、どんな音楽教育を受けてきた?
6 現在、どんな練習を、どの程度?
7 好きなアーティストは?

 

〈世界〉で優勝

なるほどぉ。では、ご要望に沿って、まずは2の、〈世界〉とは、具体的に何を指す? から始めましょうか、で、後は流れにまかせるという感じで・・・。
さて、私の言う〈世界〉とは。
ユーチューブでも有名な、二つのテレビ・オーディション番組のいずれかで、優勝することなのです。
その二つとは、1イギリスの『ブリテインズ・ゴッドタレント』 2アメリカの『X ファクター』。
ちょっと、そこの、あなたっ!! 今、呆れて、イナバウアーのように、のけぞってしまったでしょ!! もしかして、無理だと思ってませんか?
しかしまあ、驚くのも無理はない。どちらも世界的なスターを輩出している。ここで優勝するってことは、すなわち、世界一の新人とみなされたことになるんですからね、世界一の。
四十七歳のシンデレラ、スーザンボイルが出た。携帯電話のセールスマン・大逆転男、ポールボッツもここからデビューした。
 私の大大お気に入りの、アダム・ランバートなんか、今や、エルビスプレスリー二世と呼ばれ(二月に来日しますよ)・・・。
まだまるっきり子供のジョータは、マイケルジャクソン二世だって。
それから・・・女性アーティスト一押しの、アレキサンドラ・バーグなんか、もうもう、何と言ったらいいのか。
初めて一曲聞き終わった瞬間、思いましたね。「こんな風になりたいっ!!」と、心底。

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 熱唱するカハル








涙の決意

で、そのころ、私のボイストレー二ングの先生だった男性歌手に、彼女のCDを聞いてもらい・・・声を張り上げたのです。
「先生っ! 私も、彼女みたいに、世界一にしてください」と
すると先生、「うーん、うーん、うーん」と、三十秒くらい、うなったきり。で、ようやく口を開くと絞り出すように。
「毎日、毎日、毎日」
「はい、毎日、毎日、毎日、ですね」と私。
「心から、心の底から」と先生。
「はい、心の底から」
「三年くらい・・・来世では・・・」
「????」
「来世では、必ず、とびきり才能のある黒人に生まれ変われるように、祈り続けてみるしかないです。三年くらい。それ以外、無理です」
 と、言い放つではありませんか。私の目を見つめてキッパリと。
あまりのショックに、その日は、どうやって家に帰ったか記憶がないほど・・・というのは嘘だけど、私の胸には涙があふれ、たったひとつの言葉が、次第に音量を上げながら、いつまでも、いつまでも、鳴り響いていたのは確かです。
「だって、なりたいんだモン」
「だって、なりたいんだモン」
「だって、なりたいんだモン」
こうしてカハルは、世界を目指すことになったのさ。かなり短絡的だけどね。


posted by 川竹文夫 at 19:31| カハル、世界への道

2013年02月03日

第一回 『いのちの田圃』2001年1月号巻頭言

 
勢いで創刊したのは良いけれど、読者はわずか140人。もちろん大赤字。レイアウトは、表紙からすべて、当時大学留年中の息子がやってくれた。友人の多くは、三号もすれば廃刊になると思っていたそうだけど、私は五百号は超えるつもりでいた。
 
創刊に寄せて


 「たった今、始めてしまえ。さもなければ、ようやく芽生えた小さな志も、いつしか泡のように消えてしまうだろう」
 胸の奥の声が、もはや無視出来ないほどに大きく鳴り響いている。確かなあては、何一つない。けれど、私は、旅発つことにした。

 一昨年の秋だった。いつもの里山に散歩に出掛けた私は、思わず息を呑んだ。
 谷あいの田圃には、刈り入れを待つばかりの稲穂が、真昼の光を集めて、黄金の波である。生まれたばかりのガラスのように澄み渡った空の青。そして、直下には金色の散乱。
 日常の忙しさに紛れ、季節の移ろいをすら忘れてしまっていた私は、その美しさに意表を衝かれ、しばし、たたずんだ。
 いのちの田圃・・・不意に、私の口はそうつぶやき、それを合図に、心は一つの情景をまさぐり始めていた。
 病の治癒と、傷ついた人生の回復を目指し、険しい坂道を懸命に歩む人たち。
 少し先をゆく人たちが、振り返っては手を差し伸べ、ある時は重すぎる荷物を肩代わりし、共に歩を進め・・・そして気が付けば、みなが皆、思いもしない高みにたどり着く。そこは、新しい価値と使命、そして新たなる出発の喜びが与えられる新天地なのである。

 人は病み、人は傷つき、人は時として挫折し、失意にまみれる。しかしその時こそ、人生を癒し、いのちを育てる好機であるに違いない。
 起こったことのすべてを静かに受け入れ、自らの責任としてその根を探り、意味をたずね、多くを学ぶ。その先にはきっと、ウェラー・ザン・ウェルの世界が待っている。
 ガンやさまざまな病を、ただ治すのではない。治すのはもちろんのこと、美しいこの言葉そのままに、病を得る以前にも増して、心身共に健康で幸せな、真に価値ある人生を送る。
 そんな場所、そんな結びつき、そんな癒しの集い。それが、「いのちの田圃」なのである。


posted by 川竹文夫 at 15:28| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』

雨の日もいい天気 1


人生は、思い通りにいかないことの方が多い。真面目に懸命に生きようとするほど、思いがけない失敗や挫折が待ち受けていたり・・・。
 そんな時こそ、「すべては幸せの前ぶれ」と心に言い聞かせ、私は、自らを励ましています。
想像もつかない悲惨をも、「幸せの前ぶれ」に変えた人をたくさん知っているから・・・。




posted by 川竹文夫 at 15:16| 雨の日もいい天気