2013年02月21日

雨の日もいい天気 2


年齢を重ねることは、素晴らしいこと。

昔は、いつも、

自分自身に深刻になって苦しむことが多かった。

でも今は、突き放して、

自分を道具のように見ることが出来る。

これを使って・・・

どんな仕事をしようか。

どんな風に遊んでみようかな。

誰かを楽しませてあげようか、などと。

posted by 川竹文夫 at 19:53| 雨の日もいい天気

2013年02月17日

もうひとつの物語製作所


 もう何十年と住み慣れた町なのに、あまりにも何気なく、そっと置かれていて・・・つい、見過ごしてきた。そんな小さな場所に、ふと、出会うことがあります。
 湿った路地奥で陽光を一人占めしているマンホール。竹林の下を細く流れる苔むした用水路。鼻の欠けたセメント製の天狗がたたずむ、傾いた御堂。
 あれっ。
 この世で初めての風が、そっと流れ込んできたような思いがけない贈り物に、ドキドキしながらも。
 今まで、気づいてあげられなくて、ごめんなさい。そんな、申し訳ないような気持ちもどこかにあって・・・。


柔らかな場所

 町に、そんな場所があるように、誰の心にも、ずっとしまいこまれてきた、柔らかな場所があります。
 なんという幸運なことでしょう、今年、六十七歳になった私にも、最近、そんな心の場所が、また一つ、見つかりました。
 それは、『もう一つの物語製作所』。


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 写真は、そこで生まれた、第一号作品です。といっても、私が何かの手を加えてできたものではありません。
 藤か何かの小枝なのでしょう。このままの姿で、いつもの散歩道に落ちていたのです。 
 いつから落ちていたのか、何人の人が、この落し物(?)の脇を通り過ぎていったのか、分かりません。ただ言えるのは、誰も、こんな小枝の存在になど、気づかなかったのだろうという、余りにも取るに足りない、ささやかな事実。
 けれど、私は、この小枝の存在に気づいてしまった。そして、拾い上げるなり、自分でも分かるほどの笑顔を広げたのです。
 「おおっ! 収穫!」
 おどけて小さく叫びながら、私はすでに、連れて帰ってやろうと思いました。そして、陶製の、あの器に入れ、大切に飾ろうと決めていました。キーボードの脇に。

 
大切だけど、深刻じゃない

 呆れて微笑する妻を横目にみながら、私は、小枝に、無言で語りかけていしました。
「オイオイ。こんなに悩んでしまっちゃ、だめだよ。絡み合って、こんがらがって、永遠に解けそうに見えない・・・まさしく、葛藤だね」
 人生はとても大切なものだけど、自分という存在は、かけがえのないものだけど・・・だけど、深刻になっていしまったら、生き辛い。そんなときは、「自分なんかどうころんだところで、いずれ、大したことはない」。そんな風に突き放して見るのもいいね。
 気がつけば、いつしか私は、自分に語りかけていました。
いや、このときはすでに、小枝が、私に語りかけていたのかもしれません。いつも、抱えきれない悩みを抱えがちな、不器用な私であることを、いちはやく見抜いて。
 こうして、小枝は、私とふたりで、もうひとつの物語をつくり続けていくことになったのです。
私が生き、私が物思い、小枝がそばにある限り。私の心の、いちばん柔らかな場所を、与えられて・・・。


posted by 川竹文夫 at 20:58| 心の弁当箱

2013年02月14日

すべては幸せの前ぶれ その2


〈だから〉の意味

 とまあ、自虐ネタはこれくらいにして、さて、ここからが、このエッセイの肝。サビです。
 まず、第一回目の「すべては幸せの前ぶれだから」。
 これは、私自身への励ましの言葉。そして、私によく似て、生きることに不器用な、たくさんのガンの仲間たちへの、そう、あなたへの、応援メッセージです。
 人生は、思い通りに行くことよりも、うまくいかないことの方がずっと多い。いや、たいていは上手くいかない。
 それどころか、真面目に真剣に、チャレンジングに生きようとすればするほど、思いがけない失敗や挫折にまみれ、厚い壁に跳ね返されて、手ひどく傷つき・・・そんな小さな歴史を重ねるうち、私も仲間たちも、ついにガンにもなってしまった。
 けれど、たとえ今がどんなに辛くても、大丈夫、これはみんな、やがて必ずやってくる、幸せの前ぶれ。
 だから、何度転んでも、何度倒れてもいい。泣くだけ泣いたら、膝の泥を払って、ゆっくり立ち上がろう。そして、半歩前へ、ゆっくりでいいから、さらに半歩前へ。何も心配することはない。恐れることなんかない。
「すべては幸せの前ぶれだから」
 そう。この一行は、人生というものの法則、真理。そして、祈りを歌っているのです。
 では、「・・・だった」は?

〈だった〉に託すもの

 すべては幸せの前ぶれだと信じ、自らを励ましてはみたものの、またしても次々と困難が。 
 前進どころか、努力の甲斐なく、後退に次ぐ後退さえ。何度も、今度こそ駄目かと、挫け諦めそうになりながらも、それでもただひたすらに、ひたむきにもがくうち、ああ、気がつけば、「幸せひらく青い空」が待っていたのだ。 
 そこで初めて、私たちは気づきます。
 ああ、やはり。どんな困難も「すべては幸せの前ぶれ」・・・この法則どおりになっていくのだということに。
 そして、胸のもっとも奥深くから湧きあがってくる確信を、歌い上げるのです。あらゆる悲しみを乗り越え切った、喜びと誇りに満ち満ちて・・・。
 すべては 幸せの前ぶれだった
 すべては 幸せの前ぶれだった
 
 この世界には、私などのとうてい想像も及ばない悲惨が転がっています。
 けれど、いや、だからこそ。
 私は、この歌に託した法則を、どこまでも信じたいと思うのです。どんな悲しいできごとも、いつかきっと、幸せの前ぶれに変えてゆくことのできる、人間の強さを信じたいと思うのです。
 これは、私の甘さでしょうか。


posted by 川竹文夫 at 20:08| 心の弁当箱

2013年02月12日

第二回 カハル、世界への道


 そもそも私はなぜ、カハルなどと名乗って歌の道に入ることになったのか。そのきっかけは、七年前にさかのぼる。

みいしゃ?

 眼下には、綿菓子の絨毯みたいな雲がふわふわとひろがり、そのとき私は、羽田空港へ着陸間近の機内にいた。持ってきた本も読んでしまったし、他にすることもない。で、音楽チャンネルでも聞くか・・・。
 というわけで、イヤホンを耳に当てるといきなり、女性の歌声が聞こえてきた。
 チャンネルに触れている指先は、お目当ての演歌チャンネルに変えようとしていたのだけれど・・・。
「ちょっと待ってくれ」と、耳が言った(聞くばかりじゃなく、耳もたまには話してみたくなったりするんじゃないかと思って、こんな表現を使ってみました)。
「あれっ! 何これ?」と思った。
 不思議な美しさだった。 えっ? 誰、これ? 卑弥呼の血を引いてたりして?
 と、次の瞬間、機内放送が入り、それは、暴力的に途切れ・・・でも、ちょっと待て・・・今、何かとても美しいものが、耳を通り過ぎていった気がする・・・。
「本機はいよいよ最終着陸態勢に入りました。シートベルトを今一度」
「あーっ、もうっ、分かってるよ、そんなこと、頼むから速く墜ちてくれ」なんて、パニクリ間違いしそうになるころ。
「みいしゃさんで、ねむれぬよるはきみのせいをお聞きいただきました」
 復活した音楽チャンネル司会者の声・・・。
 みいしゃ? 未医者?

 びっにいふぅーれっ???

「じのちゃん、聞いてみて、これ」
 翌日。私は妻(いつも、じのちゃん、と呼ぶのです)に、一枚のCDを手渡した。
 それは、羽田空港から自宅に向かう途中、最寄りのショップで早速買い求めたMISIA(ふーん、こう書くんだ)のシングル盤『眠れぬ夜は君のせい』だ。
 さて、ここでクイズです。
 私はなぜ、そうしたのでしょうか? 五秒以内に答えてください。では、スタート。五、四、三・・・。
 えっ?
「素晴らしい曲だから、あなたも一度、聞いてみないかい」・・・ブー。違います。
「もしかしたら、あなた好みかもしれないねってんで」・・・またしても、ブー。
「俺、もう聞きあきたから、もし気に入ったら、あげる」・・・ごめん。ブー、です。
 えっ?
 忙しいから、早くしてくれって? はいはいはい。お仕事ご苦労様ですね、本当に。
 では、正解をお教えしましょう。
 正解は、「このCDは壊れているのではないか、という重大な疑念を抑えきれなくなったから」であります。
 えっ? 意味がプー? 意味がわからない、ですか? 無理もありません。
 では、ご説明いたしましょう。
 曲の出だしは、なんとかOKでした。
「静かな、夜のとばりが、二人を、つつんでくれるぅ・・・」
 なんかロマンチックです。
 が、「ぱーすがっゆれるたっびっにいふぅーれっ・・・」のあたりから、しばし聴きとり不能。いっさい、意味不明。

苦悩の果てに?

 それどころか、なんというか・・・例えて言えば・・・洗面器に水を入れるでしょう、一杯、いっぱい。で、もって、洗面器を手のひらで叩いて振動させると、水の表面が、ピョンピョンププン・・・みたいに揺れますよね、で、小さな波の上に、言葉らしきものが、おっこちそうに乗っていて・・・。あ、おぼれてしこたま水飲んでる言葉君もいる(ンな分けないけどさ)・・・これでいいの? これって??? 何度聞いても????
 「これ、もしかして、CDが壊れてるかもしれない」「いや、昔のレコードじゃあるまいし・・・」「でも、やっばり・・・」
 そんな苦悩の果てに、「じのちゃん、聞いてみて、これ」と、なったのであります。
 
 すると・・・。
 恐る恐る聞く、じのちゃん。
 繰り返し聞く、じのちゃん。
「うーん」と、唸ったきりの、じのちゃん。
 やがて。
「何言ってるか、さっぱりわからないね。歌詞カードは?」
 皮肉な笑みを浮かべて、私は、それを渡した。で、彼女の様子を確認しつつ、自嘲して言った。
「読めないだろ、あまりにも、小さすぎて。聞き取れない、じゃ、文字で確認するかって思ったら、文字読めなーい! やってらんなーい!」
妻の困り果てた声。
「うーん。そうねぇ」
 私は、自らに言い聞かせるように言った。
「明日、行ってくるわ、俺」

            つづく

posted by 川竹文夫 at 20:25| カハル、世界への道

2013年02月06日

第一回 すべては幸せの前ぶれ


私が代表を務める『NPO法人ガンの患者学研究所』には、テーマソングがあります。けれど残念ながら、会員さんにもあまり知られてはいない。
 タイトルは『笑顔の虹』と言います。 
 あっ、ね、ほらっ!
「そんなのあったの!? 私、入会三年になるけど」って・・・たった今も、驚く声が聞こえてきた。とまあ、こんな具合に知られていません。ひとえに、私のPR不足のせいです。
 というわけで(そのうち動画で聞いていただけようにするつもりですが)、とりあえず歌詞だけでも紹介しますね。ちなみに作詞は、この私、川竹文夫です。


『笑顔の虹』

(作詞・川竹文夫 作曲・堀井信矢)

黒い雲から こぼれ落ちた
ひと粒のひと粒の 孤独な涙
いとしい人の頬を濡らし
それが私たちの始まりだった
たどりつくそこは 勇気育む 青い海
気がつけば 声合わせ 歌ってた
すべては 幸せの前ぶれだから
すべては 幸せの前ぶれだから

始まりはすべて 小さくて
ひたむきに ひたむきに 歩みを重ね
それが私たちの 誇る旅だった
たどりつくそこは 幸せひらく青い空
涙たち 笑顔の虹に なってゆくよ
すべては 幸せの前ぶれだった
すべては 幸せの前ぶれだった

ああ 世界に 幸せの橋架けて
笑顔の虹は 語り告げ
すべては 幸せの前ぶれだから
すべては 幸せの前ぶれだから



『笑顔の虹シンガーズ』 
 
 さてここで、注目していただきたいのは、三度出てくる、サビの歌詞。
「すべては幸せの前ぶれ」と、繰り返されるのだけれど、「・・・だから」と続くのは、
一回目と三回目。二回目のサビだけは、「・・・だった」となっている。
 ここが、要注意なのです、歌うときに。もう一度言います。ここが要注意。
と、何度注意を促しても、ついつい、二回目のサビも「すべては幸せの前ぶれ・・・だから」と歌ってしまいがちなのですよ。
これもあまり知られていないことですが、歌好きの会員仲間で作ったグループがあります。その名も〈笑顔の虹シンガーズ〉。
今は訳あって冬眠中だけど(またやろうね、みんな)、練習では毎回必ずこれを歌うにも関わらず・・・それにもかかわらず、間違える人がいるのです。


要注意人物

 歌詞は言うまでもなく、突然のガン宣告から今日までの、自分たちの心の歩みそのもの。
その上、曲がまたいい。まさに堀井先生渾身の名曲。なので、いやが上にも盛り上がる。気分も乗って、涙さえ胸にせり上がってきて、いよいよ、二回目のサビが近づいてくる。
 と・・・あれだけしつこく、「二回目のサビは〈だった〉だからね、〈だった〉だよ」と、言い聞かせていたにも関わらず、ついつい感情の波に飲みこまれて・・・気がつくと「だから」と歌ってしまっているではないですかぁ。後悔すでに遅し。覆水盆に返らず。「またやっちゃったよ、どうしよう」なんて、嘆く間もなく、曲は一切お構いなしに、進行してゆく・・・。いけないっ! てんで必死で気分を立て直しつつ、曲について行こうとするのだけれど、ついつい、「ホントにもうっ、あれだけ注意しろって言ったのにぃ!」と、実りのない自己批判が鎌首をもたげてきて、失敗が失敗を呼ぶことになりかねなく・・・。
 えっ? どうして、そんなに失敗した人の心理描写が、リアルなの?・・・ですか。フッフ。それはね、いつも失敗するこの人は、ほかならぬ、作詞者である私本人だからなのです。
 メンバーには、さんざん言われました。
「全部、〈だから〉にすればいいのに、どうしてわざわざ、〈だった〉なんかにしたのっ!自分で自分の首絞めてるじゃないですかぁ」
 (つづく)
 


posted by 川竹文夫 at 10:25| 心の弁当箱