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2010年、中国新疆ウイグル自治区カシュガルにて。


最新の更新 一徹の人〈第5回〉 川口 由一さん

2017年04月18日

一徹の人〈第5回〉 川口由一さん


一徹の人〈第5回〉

地球に一切の負担を掛けない自然農

川口由一さん 

〜『いのちの田圃(たんぼ)』2001年5月号(第5号)より〜

 さまざまな分野で一筋の道を貫く人たち。崇高にして爽快なその人生の軌跡を、川竹が心からの尊敬を込めてレポートする。
 第五回は、自然農の川口由一さん。耕さず、農薬も肥料も使わず、虫や草を敵としない。栽培する人、食べる人、すべての人の命を一切損ねず栄えさせるのが、自然農・・・柔軟にして剛直な信念がここにある。

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 インタヴューを終えて窓辺に立つと、十階のそこからは、視界一面、ビルの群れが見渡せた。
 都市から都市へ、コンクリートの砂漠が、はるかに連なり広がる・・・その灰色の風景は、私の耳に、たった今別れたばかりの川口由一さんの、やわらかな関西弁をよみがえらせた。
 「耕して、農薬や肥料をまいている田圃は、耕せば耕すほど、砂漠みたいになっていきますのやわ」
 農薬も肥料も一切使わない。それどころか、土を耕すことも否定し、除草もほとんどしない。
 だから、川口さんの田圃だけは、いつも草ぼうぼう。その草々の中で稲を育て、その葉や茎や根元には、さまざまに虫たちが命を営む・・・奈良市桜井の地で、そうした『自然農』を二十三年間続けてきた。
 耕すことは、土を豊かにすること  栽培とは、雑草を抜き、害虫を排除すること 
 固く、そう信じて疑わなかった私の常識は木っ端微塵に打ち砕かれ・・・その心地よい驚きをもう一度確かめたくて、私はいつしか、取材の一部始終を心に手繰り寄せていた。

主張せず、争わず
 この日、私には、どうしても聞きたいことが一つあった。世の常識を越えた世界を切り開く人につきまとうであろう、周囲との摩擦についてである。
 「周りの人たちの田圃には草一本も・・・」
 こう切りだした質問の先を察知して、川口さんの眼に、柔和な笑いが宿った。 
 「苦情はいっぱいありましたよ。一番多かったのは、虫の問題ですね、僕とこの田圃は虫の天国ですからね。それが隣の田圃に飛んでいくんやないかって心配なんです。でも、手を加えない自然のままの田圃は、生きものたちのバランスが取れているので、増えすぎて、よその田圃に飛んでいくということはありえない。 
 草の問題にしても、本当は周囲には何の害も与えていないんです。
 でも、言えば言うほど、説明すればするほど、衝突してしまう、争いになる。 そんなことでエネルギー使ったら、僕は田圃に行けなくなりますやろ。
 だから何を言われても、『そうですね』『そうですね』って、一生懸命聞くんですわ。何を言われても、どんなに怒られても黙って聞きますのやわ。相手も言うだけ言うと、だんだん疲れてきて、そのうち日も暮れてくるしね」
 しかし、中にはどうしても草を刈れと迫る人もいるのではないか・・・。
 「そうしたら、田圃の縁だけちょっと刈ってあげますね、相手が納得するように。相手の言うことはしっかり聞く。でも、やりたいことは、やりたいように、やり通しますのやわ。
 他人に分かってもらっても、自分の人生にも、幸不幸にも関係ない。やることやって、それで初めて僕は救われるんです」
 五年もすれば、誰も文句を言ってこなくなったと、朗らかに笑った。


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命が困って
 しかしその川口さんも、二十三年前までは、農薬や化学肥料にどっぷりと浸かっていた。
 「農薬は危険だと知ってはいたけれど、それより他にやりようを知らないからね。空気の通らない合羽着て、マスクして、ゴム手袋着て作業してると、皮膚呼吸しないから苦しいし、暑くて暑くて汗がダラダラ、もう脱がざるをえないんです。脱いだら農薬がもろにかかるんですけど」
 中学卒業と同時に農業を継いだその翌年には、すでに下痢と嘔吐を繰り返し、原因不明の高熱が続く身体になっていた。
 しかしそれでもなお、収量をあげるため、人よりはるかに多量の農薬と肥料を使う日々が続く。
 身体の変調はいつしか肝炎にまで進み、黄疸症状さえ出るほどになっていた。
 「顔のあっちこっちに水が停滞してね、耳の下なんかが膨れるんですよ。病院で抜いてもらっても、治す方法はないと言われて」
 気が付くと、そんな生活が、二十数年続いていた。
 「もうね、身体も心も限界。希望もなにもないし。それでも知恵は浅いし狭いから、そうとしか生きられない。とうとう命が困ってしまって・・・」
 が、ある日、そんな川口さんの眼に、一つの新聞記事が飛び込んでくる。
 後に大ベストセラーとなる有吉佐和子さんの『複合汚染』の連載であった。
 「もう、びっくりしてね、僕のやってる農業は、こういう恐ろしいことだったのかってね。知らないっていうことは、これほど愚かなのか、愚かであることは、これほど人を不幸にするのかって痛感しましたね。パッと目が覚めて、そしたらもう、今までの農業は嫌で嫌で出来ませんのやわ」
 その直後、たまたま手にした一冊の本が、さらに背中を押す。.福岡正信著『自然農法』である。
 不耕耘(耕さない)、無除草、無肥料、無農薬。新しい世界がそこにあった。 
 「ああ本来の農業は、こうなんか。何もしなくてもいい、それが自然の営みなんだって、それまでの常識をはずしてくれまして」
 進むべき道は、この時決まった。が、それは長い苦闘の始まりでもあった。

最小限の手助け
 「二年間は大失敗で、全滅しちゃったんです」
 普通なら、まず一部の田圃で実験をするだろう。だが川口さんはそうしなかった。七反の田圃すべてで、自然農を試み、失敗した。 
 「生活の見通しも何もありませんのやけども、知ってしまった以上、間違ったことはしたくない。嫌なことはしたくないので」
 失敗の原因は、無除草にあった。一切草を刈らない田圃は、田植えの時期には、春に芽を出した草がぼうぼうと繁り、その下には次の季節の草々も、すでに育ち始めている。
 しかも川口さんは、そこに稲の種を直蒔きした。すると、辛うじて出てきた稲の芽も、たちまち草に負けてしまうのだった。
 三年目。今度は用心のため、あらかじめ、別な場所に苗を育てておいた。
 「直蒔きして、他の草に負けてしまったところに、その苗を植えたんですよ。草を倒して、その上にね。そしたら、苗は苗床で、人で言えば少年期くらいまで育ってるので、他の草に負けないで育ったんです。まわりに生えてるたくましい大きい草は、刈り取って田圃に置いといてあげれば、いずれ亡骸(なきがら)になって、肥料になってお米を育ててくれるし。
 人間でも、赤ちゃんの時は、手をかけてやるでしょう。お米もそれと同じ。草に負けないように、一番必要な時にだけ、最小限手を貸してやったんです。二ヵ月もすると青年期くらいになる。そうなったら、後は一切、草も刈らず」
 三年目にして初めて、稲は実った。それはまさに、一条の光だった。


命の巡り
 「耕さないで三〜四年もすると、田圃の土がフカフカホロホロとなりますのや」 こともなげに言う。何故なら・・・
 「山や森の土は、フカフカしてるでしょう。あれはね、草ぐさや小動物たちの亡骸が積もった、亡骸の層なんですのや。土やないんです。田圃も、耕さずにいたら、だんだんだんだん、そうなってくるんです」
 稲のように、四〜五月に生え始め、冬の前に命を終わる夏草。麦のように、秋の終わりや冬の初めに始まって、六月ごろの夏の初めに命を終える冬の草。
 田圃のなかでは、半年毎に、この二つが交替し巡っているという。
 夏の命を終えたものは、やがて亡骸となり、その亡骸の下から、冬の命が育ってくる。しかし、その命もまた、半年後には子孫を残して亡骸となり、夏草が繁り、それもまた・・・。
 「お米と一体であったイナゴやバッタも、秋の終わりごろには卵を産んで親は死んでいきますのやけども、その卵がまた、春に孵化して、またまたお米と一緒に育ちますのやわ。草々、虫たちがお米と同じ命の巡りをしますのやわ。
 そのことによって、田圃はいつも、たくさんの命を育んで、たくさんの亡骸たちで豊饒なんです。だからお米も、健康に育ち続けるんですわ」
 だが、耕せば、せっかくの豊穣な亡骸の層をはぎ取ってしまう。後に残るのは、痩せた土だ。
 だから、たくさんの肥料が必要になり、農薬もまかねばならず・・・それは、地球環境に、さまざまな問題を招いてしまう。
 だが、自然農は、環境にも、他の命にも、一切の負担を掛けない。草も虫も、一切を敵としない。
 「昔はね、田植えが終わったらすぐ除草剤散布。そしたら、田圃は死の世界ですわ。もう、それが嫌で嫌で。ところが今は、いろんな草が繁ってる中に、米も生えてる。虫も命を営んでる。田圃に立つとね、心も身体も喜んでくるんです」

葛藤
 自然農は確信となった。だが、収入につながる収量には程遠く、政府に供出する米にも事欠く無収入の暮らしが、さらに、何年も続くのである。
 が、それ以上に困難を極めたのは、自然農に反対する母親との葛藤であった。
 「母親は、村の人たちと違うことをする孤独感に耐えられんのですわ。お前の息子、頭おかしくなった、気がふれたとか言われるしね。それでだんだん村の中に出て行かなくなって、ノイローゼになって、やめてくれ、頼むから草刈ってくれって言い続けて。
 ようやくお米もとれるようになってきたのに、『お米が育っても育たんでもええから、村の人と同じことしてくれ』言いますのや。 
 そのうちに、極度に衰弱してきて、とうとう死ぬ準備始めたんです。
 毎日、雨戸閉ざして、仏壇に向かって鉦たたいて、
 『お前に、財産全部食い潰された。ご先祖様に申し訳ないから、私はもう死んでしまう』って。
 ある時は、部屋にいないから探したら、ゴエモン風呂の暗ーい風呂場のすみっこで、硬直して引っ繰り返ってますのやわ。痙攣してますのや。
 これには途方に暮れたけど、それでも、布団に寝かして、田圃に行ったんですよ。死ぬかも分からないけどね、それでもなおかつ田圃に行ったんですよ。
 これで死ぬかどうかは、母親の問題だって。田圃にいくのは僕の人生ですよ。これはもうはっきりしてるんです。二十年以上も農薬で苦しんできて、ようやくこの道見付けたんですから、自分の納得のいくことをしていかないと、救われないんですね、僕は。
 そうこうするうちに十年がたって、それでもまったく無収入で、でも僕は相変わらず一歩も譲らなかった。けれどもそれでいて母親も死ななかったんです」

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命の法則
 そして瞬く間の二十三年が過ぎ・・・川口さんは今、自然農の指導に、全国を飛び回わっている。
 ビジネスマン、定年退職後の人、受験生・・・病み、行き詰り、さまざな問題意識を抱えた人たちが、
 「一気に解決は出来なくても、答えにつながる生き方をしようとされて」
 吸い寄せられるように集まってくる。
 川口さんは、自然農のことしか話さず、参加者はひたすら、それを体験するのみ。しかし・・・。
 「体験するうちに、ご自分の力で、ご自分の命の変革をして帰られますのやね。そういう方たち見てますとね、お米も草々も小動物も人間も、命は命自ら、命にとって一番いい方向を求めていて、それに任せて見守っておりさえすればいいんだと、つくづく嬉しくなりますのやわ」

和解
 四月某日。田起こしの終わった田園地帯を散策するうち、私は不意に、川口さんのお母さんに電話をしたくなった。
 「今になって、あの子のこと本に書いてあるの読んでたら、私のことも心配してくれてたんやな、そやのに、あの頃は人から何か言われても、あの子のために、あんじょうよう言うたらんとな、かわいそうなことしたと思うてな。
 自分かて、どういうふうになるか分からへんかったやろうに、私が悪かった。 そやけど、ほんまにしっかり頑張って、ようやり通さはったな思うて、嬉しいことですわ」
 何のたくらみもない、優しいやさしい・・・川口さんの田圃の匂いのする響き・・・そこには、美しい時の恵みがあった。


posted by 川竹文夫 at 16:14| 月刊『いのちの田圃(たんぼ)』